尾呂志城跡(読み)おろしじようあと

日本歴史地名大系 「尾呂志城跡」の解説

尾呂志城跡
おろしじようあと

[現在地名]御浜町上野

尾呂志小学校の付近にあり、尾呂志氏の居館。往時の城の平面図が残されており、それによれば東西二六間、南北二九間、堀幅二―三間、深さ二間である(奥熊野の城跡)。「紀伊続風土記」によれば東西四六間、南北二六間で、「尾呂志孫次郎の城跡といふ、堀の形遺れり、今民舎となる、囲三丈七尺余の大杉一本あり、土居は孫次郎の元屋敷といひ伝へたり、今田畑となる、尾呂志孫次郎は天正年間の人にて其家系詳ならす、尾呂志荘の領主なり」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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