尾窪村(読み)おくぼむら

日本歴史地名大系 「尾窪村」の解説

尾窪村
おくぼむら

[現在地名]城南町藤山ふじやま 尾窪

藤山村の西隣、山間部の集落である。本村南方にあるの集落からなるが、後者は一八世紀後半の開発でできた。「八代日記」天文一〇年(一五四一)四月二六日条に「堅志田・岩下・尾窪・ヨリ放火仕候」とある。「南藤蔓綿録」に弘治三年(一五五七)「宮地主税」「尾窪社人ノ子」とある。阿弥陀堂の阿弥陀如来立像には天文一〇年の背銘がある。慶長国絵図に記載はなく、藤山村のうちに含まれているが、慶長一二年(一六〇七)には検地帳が作成され(「肥後豊後検地諸帳目録」県立図書館蔵)元禄国絵図に「藤山村之内尾窪村」、「国誌」でも「藤山村ノ内」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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