日本歴史地名大系 「尾野見村」の解説 尾野見村おのみむら 鹿児島県:曾於郡松山町尾野見村[現在地名]松山町尾野見松山郷泰野(たいの)村の南東、同村から東流しさらに南へ向きを変えて流れる安楽(あんらく)川支流尾野見川流域の台地上に広がる。東は志布志(しぶし)郷田之浦(たのうら)村(現志布志町)、西は同郷伊崎田(いさきだ)村(現有明町)、南は同郷内之倉(うちのくら)村(現志布志町)、北は大隅国囎唹(そお)郡末吉(すえよし)郷南之郷(みなみのごう)村(現末吉町)。日向都城と志布志郷とを結ぶ道の松並木が西から南に延び、松山郷と志布志郷の境を流れる安楽川には柳之渡(やなぎのわたし)川橋が架けられていた(列朝制度)。延文二年(一三五七)二月二九日の畠山直顕寄進状写(大慈寺文書)に「救仁院尾見条」とみえ、三門造営料所として星崎(ほしざき)(現宮崎県高岡町)の代りに大慈(だいじ)寺(現志布志町)へ寄進された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by