日本歴史地名大系 「松山町」の解説
松山町
まつやままち
- 埼玉県:東松山市
- 松山町
現市域の中央やや東寄り、東松山台地上にあり、北部・東部は
〔松山本郷〕
応永一六年(一四〇九)閏三月一五日の旦那売券(熊野那智大社文書)に「武蔵国松山内本郷」とみえ、大輔律師嫡弟大夫公等は重代相伝である当地などの紀州那智山旦那職を那智実報院に売渡している。「北条記」によると天文六年(一五三七)七月、北条氏綱は松山城を攻めるにあたって「町屋近辺在々所々、悉ク焼払」ったというから、この頃にはすでに当地に町場が形成されていたと考えられる。もっとも城の北西麓の現
永禄四年、上杉政虎(謙信)の関東攻めに乗じた上杉方の太田資正によって松山城は落ち(「北条記」など)、北条氏は奪回のため松山城を攻撃する。
松山町
まつやまちよう
元和元年(一六一五)織田氏の宇陀郡入部に伴い旧
松山藩については、慶長六年(一六〇一)福島高晴(正頼)が伊勢国
ついで織田信雄(信長の次男)が豊臣氏の滅んだ元和元年七月、徳川家康から大和国宇陀郡と上野国のうち
松山町
まつやままち
- 山形県:飽海郡
- 松山町
飽海郡の南東部に位置し、最上川が庄内平野に抜ける喉頭部から同川支流の
松山町
まつやまちよう
- 鹿児島県:曾於郡
- 松山町
曾於郡のほぼ中央に位置し、東は
町域の遺跡は菱田川・
松山町
まつやまちよう
粉川町の西に南北に延びる
松山町
まつやままち
松山町
まつやまちよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報