日本歴史地名大系 「泰野村」の解説 泰野村たいのむら 鹿児島県:曾於郡松山町泰野村[現在地名]松山町泰野松山郷新橋(しんばし)村の東、東流する安楽(あんらく)川支流尾野見(おのみ)川上流域の台地上に広がる。東は尾野見村、南は志布志(しぶし)郷伊崎田(いさきだ)村(現有明町)、北は大隅国囎唹(そお)郡末吉(すえよし)郷南之郷(みなみのごう)村(現末吉町)。北部に標高五二〇メートルの飯盛(いいもり)峰(宮田山)、南部には霧(きり)岳に連なる鳶巣(とびのす)山がそびえ、日向都城と志布志郷とを結ぶ道の松並木が中央部を東西に貫いていた。元亀三年(一五七二)九月島津義久が肝付氏攻撃のため下大隅に発向した際、都城の北郷時久も参陣の命を受け、同月二九日月野(つきの)(現大隅町)・泰野を攻め破り首級多数をあげたという(北郷氏系図など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by