日本歴史地名大系 「屈巣村」の解説 屈巣村くすむら 埼玉県:北埼玉郡川里村屈巣村[現在地名]川里村屈巣元荒川左岸の埋没台地上に立地する。北は広田(ひろだ)村、北西は野(の)村(現行田市)、南西方は元荒川を隔てて寺谷(てらや)・市縄(いちのなわ)(現鴻巣市)の二村、南は安養寺(あんようじ)村(現同上)。屈須とも書く。東に広大な屈巣沼があったが、享保一三年(一七二八)から開発されて屈巣新田などが成立した。元弘三年(一三三三)一〇月日付の大河戸隆行軍忠状(朴沢文書)に武州「崛須郷」とみえる。同地は大河戸隆行の所領で、代官岩瀬五郎入道妙泉を置いて支配した。妙泉は新田義貞の鎌倉攻めに従い、軍功をあげている。寛永一二年(一六三五)の忍領御普請役高辻帳(中村家文書)に村名がみえ、幕府領の役高一千九三三石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報