愛知県知多半島の中央部,西海岸に面した常滑市域において焼かれた窯業製品。平安末期,猿投(さなげ)窯南部の灰釉陶窯の南下によって形成された中世最大の窯業地で,常滑窯とも知多半島古窯跡群とも呼んでいる。平安末期から鎌倉・室町時代にかけて,常滑市を中心に半島全域にわたって築かれた1200基以上の古窯跡が知られ,実数はそれに倍するといわれている。製品は無釉の碗,皿,鉢,瓶,壺,甕,瓦,仏器などで,地下に掘られた大型の窖窯(あながま)で焼かれている。半島中央部では壺・甕窯が,南北では碗・皿窯が卓越している。平安末期には三筋壺・経甕類が量産されており,鎌倉時代の大型の壺・甕類は青森県から鹿児島県までの太平洋岸一帯,さらに山陰にまで運ばれている。室町時代には備前焼の隆盛に押されて停滞し,常滑市域への窯の集約化がみられたが,室町末期には半地下式大窯(鉄砲窯)に転換して真焼と称する炻器(せつき)質の壺・甕類を量産し,再び隆盛に向かった。近世の常滑焼は真焼,赤物と呼ばれる日常雑器を主としているが,江戸後期に連房式登窯が導入されて,真焼は登窯で,赤物は大窯で焼かれるようになった。一方,天明年間(1781-89)に常滑元功斎が出て茶陶の世界が開け,幕末にかけて上村白鷗,赤井陶然,伊奈長三らの名工が輩出して,陶彫,楽焼,白泥,藻がけ釉などに腕をふるった。明治に入ると杉江寿門に代表される朱泥物が勃興して,常滑焼の新分野が開けた。今日でも朱泥物をはじめ,茶器,壺など多くの陶器が作られているが,陶管,タイル,衛生陶器などもさかんに焼かれている。
執筆者:楢崎 彰一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
愛知県知多半島の陶芸の総称。慣用として「とこなべやき」ともいう。常滑焼は初め平安時代の名窯・猿投窯(さなげよう)の支窯として開かれたが、12世紀になって在地の需要層をつかみ、地下に掘った大型の窖窯(あながま)で自然釉(ゆう)のかかった粗雑な甕(かめ)、壺(つぼ)、擂鉢(すりばち)を焼く窯として急成長を遂げた。窯は常滑市、半田市、大府市、東海市、東浦町、武豊(たけとよ)町に広く分布し、現在知られている1200基以上の中世古窯址(し)群はわが国第一の規模を誇るが、推測では中世を通じて約3000基の窯が築かれたとする。その製品は青森県から鹿児島県までほぼ全国を網羅して販売され、その影響下に宮城県の伊豆沼古窯から兵庫県の丹波(たんば)窯まで、多くの窯が誕生している。
室町時代になると備前(びぜん)焼(岡山県)の勢いに押されて指導力が衰え、桃山時代の陶芸の全国的な隆盛期にあってもさしたる展開は示さなかったが、江戸初頭に窯は半地下式大窯(鉄砲窯)に変わって常滑市域に集中していき、江戸後期には連房式登窯(のぼりがま)も導入されて、この地で真焼(まやき)、赤物、朱泥(しゅでい)、瓦(かわら)などが生産された。真焼は登窯で焼かれる素焼の焼締め陶、赤物とは大窯で焼く低火度の素焼土器である。朱泥は鉄分の多い良質の粘土で、これを用いた文人趣味の急須(きゅうす)や煎茶(せんちゃ)茶碗をはじめ各種の什器(じゅうき)は、近世・近代の常滑陶の特産品となった。今日ではこれら各種の製品に加え、陶管、タイル、衛生陶器などの産出も多い。
[矢部良明]
『立原正秋・林屋晴三監修『探訪日本の陶芸10 常滑他』(1980・小学館)』
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