日本歴史地名大系 「屋永村」の解説 屋永村やながむら 福岡県:甘木市屋永村[現在地名]甘木市屋永牛鶴(うしづる)村の西、佐田(さだ)川中流域の台地に位置する。下座(げざ)郡に属し、西は一木(ひとつぎ)村・小田(おだ)村、南は桑原(くわばら)村、北は相窪(あいのくぼ)村。弥永とも書いた。本村のほかに小机(こづくえ)(小作家)・上屋敷(かみやしき)・松久(まつひさ)・下古賀(しもこが)・東(ひがし)などの集落がある(続風土記拾遺)。元和九年(一六二三)から秋月藩領。明徳三年(一三九二)一二月一八日の筑前下座郡内除名分目録(阿蘇家文書/南北朝遺文(九州編)六)に「弥永名」「小机名」とみえ、同年検見が行われ、両名を含む九名が阿蘇(あそ)社(現熊本県一の宮町)大宮司阿蘇氏の一族と思われる北殿の知行分となっている。小早川時代の指出前之帳では屋永村の田四四町五反余(分米四六三石余)・畠一五町九反余(分大豆五〇石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高一千五四七石余、うち大豆四五九石余(慶長石高帳)。元禄五年(一六九二)には高一千六三二石余・反別一三一町余、家数一四二・社二・寺一(田圃志)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報