善福寺跡(読み)ぜんぷくじあと

日本歴史地名大系 「善福寺跡」の解説

善福寺跡
ぜんぷくじあと

[現在地名]山口市道場門前一丁目

山口町のほぼ中央、いちさか川南側に位置し、石州街道に門を開く。山口道場とよばれた時宗の寺院で寿持山と号したが、明治期に入って住僧が還俗し、廃寺となった(「注進案」後筆)本尊阿弥陀如来

「注進案」によると正応元年(一二八八)大内重弘の建立開山は遊行二世真教とする。中興は遊行一二世尊観。初め上宇野令の今かみうのりようのいま八幡宮後方の地にあったと伝え、のち現在地に移ったというがその時期は不詳。慶長一八年(一六一三)遊行三三世他阿満悟が諸国回国の途次、善福寺で没している。

寺には中世以来の多くの文書が残り、そのおもなものが「注進案」に載るが、その一つ、永享一一年(一四三九)二月二四日付の大内持世の花押のある善福寺規式には、

<資料は省略されています>

とある。


善福寺跡
ぜんぷくじあと

[現在地名]楠町大字船木 逢坂

船木ふなきと山陽町の厚狭との境界にある西見にしみ峠の東方微高地逢坂あいさかにあった寺院。現在観音堂のみが残り、曹洞宗瑞松ずいしよう庵の抱えとなっている。本尊は十一面観音。

「注進案」は、本尊は行基の作とし、「弐拾ケ年振開帳被差免来候、往古は逢坂山善福寺とて寺にて御座候」とある。平安時代の作で、県指定有形文化財。


善福寺跡
ぜんぷくじあと

[現在地名]宮窪町友浦

寺地はしも集落の地下じげで、口伝によると友浦ともうら沖の九十九つくも城主によって多くの堂宇が建てられたという。当時は寺域も広大で、現在残る唯一の薬師堂も薬師山に建てられた善福寺(真言宗)の奥院であった。本尊の薬師如来は二五年ごとの開帳で、その時には木像を海まで背負っていって潮水をかけたが、藩から寺社奉行が立ち会ったという。


善福寺跡
ぜんぷくじあと

[現在地名]境町浦向 沼台上

香取神社境内に三間四面の薬師堂と数基の石碑、享保一七年(一七三二)の教円の墓碑などが残る。善福寺は香取神社の別当として寛文一一年(一六七一)建立。本寺は関宿台町(現千葉県東葛飾郡関宿町)昌福しようふく寺。真言宗で医王山と号する(本谷英雄文書)。明和七年(一七七〇)の寺社差出帳(同文書)に「客殿長五間・横四間半、庫裏長三間・横四間(中略)社地境内共東西七拾六間・南北八拾八間」とある。また寛延三年(一七五〇)の善福寺勧進相撲願書(同文書)に「拙寺境内ニ御座候薬師如来并十二神将近年及大破ニ申候得共自力ニ難叶罷有候、依之此度勧進相撲興行仕、其助成を以再興仕度奉存候、願之通被 仰付被下候はは添え可奉存候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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