日本歴史地名大系 「善福寺跡」の解説
善福寺跡
ぜんぷくじあと
山口町のほぼ中央、
「注進案」によると正応元年(一二八八)大内重弘の建立、開山は遊行二世真教とする。中興は遊行一二世尊観。初め
寺には中世以来の多くの文書が残り、そのおもなものが「注進案」に載るが、その一つ、永享一一年(一四三九)二月二四日付の大内持世の花押のある善福寺規式には、
とある。
善福寺跡
ぜんぷくじあと
善福寺跡
ぜんぷくじあと
善福寺跡
ぜんぷくじあと
香取神社境内に三間四面の薬師堂と数基の石碑、享保一七年(一七三二)の教円の墓碑などが残る。善福寺は香取神社の別当として寛文一一年(一六七一)建立。本寺は関宿台町(現千葉県東葛飾郡関宿町)の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報