屋農人町
くしやのうにんまち
[現在地名]堺市櫛屋町東四丁
櫛屋寺町の東、農人町筋を挟む両側町。南は戎農人町。元禄八年(一六九五)泉州堺之図(堺市立中央図書館蔵)に「北ノ庄村」とみえ、堺廻り三ヵ村のうち北庄村に田畑をもつ農民の居住区であった(→農人町)。同二年堺大絵図には「櫛屋町農人町」とあり、戎農人町と併せて水落農人町ともいった(申唱之町名「堺市史」所収)。前掲堺大絵図によれば東頬一一筆・西頬一五筆からなり、町会所は西頬南寄りに所在。所属町組は湯屋農人町に同じ。寛政一一年(一七九九)の家数四三、石銀高七三匁余、家役四一・一三五(うち無役二)、年寄は住吉屋利市(堺市史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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