山ン寺遺跡(読み)やまんてらいせき

日本歴史地名大系 「山ン寺遺跡」の解説

山ン寺遺跡
やまんてらいせき

[現在地名]伊万里市東山代町川内野字山ノ寺

伊万里湾斜面と志佐しさ川斜面との分水界にあたる標高四〇〇―五〇〇メートル台の玄武岩に覆われた高地にある。

昭和四三年(一九六八)の調査によって、平安・鎌倉・室町末期に至る城館跡、初期松浦党の遺跡が発見された(「松浦源氏創成期遺跡山ン寺」昭和四八年・伊万里市教育委員会刊)。山ン寺山は全山砦に囲まれた山城跡である。平安末には飯盛いいもり(現山代町)梶谷かじや(現長崎県松浦市今福町)和田わだ(現東山代町)の三城を前線拠点とする本城で、室町期以降は飯盛城を本城とする山代氏の砦に変わる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む