20世紀日本人名事典 「山下秋堂」の解説
山下 秋堂
ヤマシタ シュウドウ
- 生年
- 元治1年3月15日(1864年)
- 没年
- 昭和19(1944)年9月24日
- 出生地
- 備中国浅口郡六条院村(岡山県浅口郡鴨方町)
- 本名
- 山下 崇
- 学歴〔年〕
- 興譲館卒
- 主な受賞名〔年〕
- 藍綬褒章〔昭和3年〕,文部大臣表彰〔昭和15年〕
- 経歴
- 明治13年に漢学者坂田警軒が経営する漢学塾興譲館に入学。のち都講(塾頭)に進み、19年には京都の同志社に招かれた警軒の代理として留守教授となる。23年より漢文教授として同志社に出向するが、33年地元の要請により興譲館に戻り、間もなく警軒が没すると同館の3代目館長に就任。以来、学生数30名にまで減少した同館を再建するべく奔走し、漢学科のみであった同館に新しく国語科を設置。41年同館を5年制の興譲館中学校に改組、さらに44年には学園を財団法人化するなどの施策が功を奏し、大正前期には学生も千人を数えた。館長として学園経営に携わること40年、その間の功労が認められて昭和3年に藍綬褒章、15年には文部大臣表彰を受けた。朱子学者としても著名で、書や詩文にも秀でた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報