20世紀日本人名事典 「山下谷次」の解説 山下 谷次ヤマシタ タニジ 明治〜昭和期の教育者,政治家 衆院議員(立憲政友会)。 生年明治5年2月(1872年) 没年昭和11(1936)年6月5日 出生地香川県那珂郡十郷村(現・仲南町) 学歴〔年〕琴平明道黌〔明治20年〕卒,京都尽誠社〔明治24年〕卒 経歴京都尽誠社、京都温智学会東山学院、東京郁文館の講師を歴任した後、東京商工学校を創立する。大正13年から衆院議員を5期務め、犬養内閣文部参与官となる。漢文、政治などの著書も多く残した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「山下谷次」の解説 山下 谷次ヤマシタ タニジ 肩書衆院議員(立憲政友会) 生年月日明治5年2月 出身地東京 学歴香川県琴平明道黌〔明治20年〕卒 京都尽誠社〔明治24年〕卒 経歴京都尽誠社、京都温智学会東山学院、東京郁文館の講師を歴任した後、東京商工学校を創立する。大正13年から衆院議員を5期務め、犬養内閣文部参与官となる。漢文、政治などの著書も多く残した。 没年月日昭和11年6月5日 出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山下谷次」の解説 山下谷次 やました-たにじ 1872-1936 明治-昭和時代前期の教育者,政治家。明治5年2月生まれ。山下紅畝(こうほ)の夫。京都の尽誠舎を卒業後,同校の幹事兼教師となる。明治26年尽誠舎の閉校にともない東京にでる。郁文館中学講師などをつとめ,36年東京商工学校を創立し校主兼校長に就任。大正13年衆議院議員(当選5回,政友会)。昭和11年6月5日死去。65歳。香川県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by