山中鹿介幸盛屋敷跡(読み)やまなかしかのすけゆきもりやしきあと

日本歴史地名大系 「山中鹿介幸盛屋敷跡」の解説

山中鹿介幸盛屋敷跡
やまなかしかのすけゆきもりやしきあと

[現在地名]広瀬町富田

新宮南しんぐうみなみ谷の山麓にあり、幸盛の生誕地ともいわれている。幸盛は天文一四年(一五四五)の生れ(推定)で、父は尼子持久を祖とする山中満幸と伝える。尼子義久に仕え、義久が毛利氏に降伏したのちは尼子勝久を擁して主家再興に力を尽した。しかし天正六年(一五七八)羽柴秀吉の命で勝久が守っていた播磨上月こうづき(現兵庫県上月町)が毛利軍の攻撃で落城、勝久は自害し、幸盛は捕らえられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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