備中松山城(読み)びっちゅうまつやまじょう

日本の城がわかる事典の解説

びっちゅうまつやまじょう【備中松山城】

岡山県高梁(たかはし)市にあった山城(やまじろ)。近世の山城としては唯一天守などが残る。標高480mの臥牛山(がぎゅうざん)は4つの峰からなり、そのうちの小松山に本丸、二の丸、三の丸が階段状に配され、ほかに大松山、天神の丸、前山にも遺構がある。城跡は国の史跡に指定され、現存する天守、二重櫓(にじゅうやぐら)、土塀の一部が国の重要文化財となっている。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。この地は山陰と山陽を結ぶ戦略上の要所として知られ、中世から戦乱が絶えなかったところ。1240年(仁治1)に秋葉重信(あきばしげのぶ)がこの地方の地頭となり、大松山に最初の城を築いた。この時は簡単な砦であったとされる。以後、城主はめまぐるしく替わり、戦国時代の三村元親(みむらもとちか)の代に本格的な山城として整備された。しかし、元親は毛利輝元(もうりてるもと)と争い、自刃して果てた。関ヶ原の戦いの後、小堀正次・政一(小堀遠州(えんしゅう))父子が代官として入り、城の改修を行った。同時に、山麓に御根小屋(おねごや)と称する居館を設けた。その後、池田氏、水谷(みずのや)氏と領主は替わるが、現存する天守などの建築物は水谷氏時代に築かれた。水谷氏改易後、安藤・石川・板倉氏と、譜代大名が城主となった。幕府の老中となった板倉氏7代目の勝静(かつきよ)の代に明治維新を迎えた。明治の廃城令により御根小屋は取り壊されたが、現在その跡地には高梁高校がある。JR伯備線備中高梁駅からバス10分で松山城登山口下車、徒歩20分。◇松山城高梁城ともいう。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

今日のキーワード

刑事免責

刑事訴訟において,自己が刑事訴追を受けるおそれがあるとして証人が証言を拒否した場合に,証言義務を負わせることと引換えにその罪についての訴追の免除の特権 (免責特権) を裁判所が与えること。アメリカ合衆...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

備中松山城の関連情報