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尼子義久 あまこよしひさ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

尼子義久
あまこよしひさ

[生]?
[没]慶長15(1610).8.28. 安芸,長田
戦国大名。晴久の子。永禄3 (1560) 年出雲国富田城主となったが,同9年毛利元就の侵略を受け落城。安芸国長田に居を移した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

尼子義久 あまこ-よしひさ

1540-1610 織豊時代の武将。
天文(てんぶん)9年生まれ。尼子晴久の子。父の跡をつぎ,出雲(いずも)(島根県)富田(とだ)城主となる。曾祖父経久(つねひさ)の代からの宿敵毛利元就(もとなり)に攻められ,永禄(えいろく)9年降伏,剃髪(ていはつ)して友林と号した。慶長15年8月28日死去。71歳。
【格言など】三好川霧閉込(とぢこむ)る瀬々に来て世を渡らんと名をば流しつ(「後太平記」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

尼子義久

没年:慶長15.8.28(1610.10.14)
生年:生年不詳
戦国時代の武将。父は晴久,母は尼子国久の娘。はじめ三郎四郎。父晴久の死により家督を継ぎ,毛利氏との戦いを継続した。永禄5年(1562),毛利勢が出雲に侵入,翌年白鹿城が落ちると富田城に孤立。3年におよぶ籠城戦の末,ついに同9年11月28日開城。倫久,秀久のふたりの弟と共に安芸長田の円明寺に連行・幽閉され,のち毛利氏より客分として遇された。剃髪して友林と号した。慶長15(1610)年長門国阿武郡奈古にて没。子孫は佐々木姓に復し,毛利氏家臣として存続した。<参考文献>米原正義『出雲尼子氏一族』,瀬川秀雄吉川元春

(井上寛司)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

あまこよしひさ【尼子義久】

?‐1610(慶長15)
戦国時代の武将。三郎四郎,のち友林と号す。1560年(永禄3)父晴久の死により出雲守護を継ぎ,毛利氏との戦闘を継続した。62年,大森銀山が落ち毛利勢が出雲に侵入すると国人層は相次いで離反した。翌年,支城白鹿城が落ち富田(とだ)城に孤立し,3年の籠城戦の末,66年11月毛利氏に下った。弟倫久,秀久とともに安芸長田円明寺に幽閉され,のち毛利氏の客分となる。子孫は佐々木姓に復し,毛利氏家臣として存続した。

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