山内峻呉(読み)ヤマノウチ シュンゴ

20世紀日本人名事典 「山内峻呉」の解説

山内 峻呉
ヤマノウチ シュンゴ

昭和期の法医学者 新潟大学学長。



生年
明治42(1909)年3月30日

没年
昭和49(1974)年2月9日

出生地
三重県松阪

別名
俳号=大刀

学歴〔年〕
新潟医科大学〔昭和9年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔昭和23年〕

経歴
昭和9年新潟医科大学(現・新潟大学)法医学教室に入り、血液型、法医学の研究従事。のち教授、医学部長、歯学部長を歴任、42年学長となった。同大学統合をめざしたが、学園紛争の波を受け計画の白紙撤回を表明して辞任した。45年県立新潟がんセンター新潟病院長。高野素十らに俳句を学び、遺句集に「春聯」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学位 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山内峻呉」の解説

山内峻呉 やまのうち-しゅんご

1909-1974 昭和時代の法医学者。
明治42年3月30日生まれ。昭和28年新潟大教授となり,42年学長。のち県立がんセンター新潟病院長。血液型判定法の研究で知られる。母校新潟医大の師高野素十(すじゅう)に俳句をまなび,大刀と号した。昭和49年2月9日死去。64歳。三重県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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