山南庄(読み)さんなのしよう

日本歴史地名大系 「山南庄」の解説

山南庄
さんなのしよう

旧沼隈郡の西南部、くまみね(四三八メートル)馬背うませ(二九八・五メートル)の南方一帯にある諸村の称であるが、具体的には不明である。「福山志料」は上・中・下の山南と草深くさぶか内常石うちつねいし外常石そとつねいし能登原のとはら浦崎うらさき戸崎とざき(現尾道市)藤江ふじえ藁江わらえ金見かなみ(現福山市)の一二ヵ村を、「西備名区」は能登原を除く一一ヵ村をあてる。

立荘の時期は不明であるが、鎌倉時代のものと思われる三月一三日付の覚道書状(厳島神社蔵反古裏経紙背文書)に、山南庄の請負に関して、京都に住む覚道(長井氏一族の僧か)から歌島うたのしま(現尾道市)の公文三郎に対して、荘園の経済状態を照会し、得分の注文の提出を依頼している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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