日本歴史地名大系 「沼隈郡」の解説
沼隈郡
ぬまくまぐん
広島県の南東部、沼隈半島の南部を郡域とし、南面する瀬戸内海上に
郡名は平城宮出土木簡に「備後国沼隈郡赤坂郷中男黒葛十斤」とみえる。「和名抄」によれば沼隈郡はわずか四郷しかない下郡に属し、史料こそないが、奈良時代初期の郡里制改編期に分立した郡と思われる。同じく平城宮出土木簡に、表に「備後国御調郡」、裏に「諫山里白米五斗」と記したものがあり、これは里を改めて郷とした霊亀元年(七一五)以前のものとみられ、「諫山」はのちの「和名抄」によれば沼隈郡内の郷名であるから、この頃にはまだ御調郡に属し、沼隈郡は分立していなかったと考えられる。しかし天平一二年(七四〇)以前とされる「律書残篇」は「和名抄」と同じく備後国の郡数を一四郡としており、沼隈郡が存在したことが知られる。すなわち沼隈郡は天平一二年以前、霊亀元年以降の奈良時代初期に御調郡などから分立したと考えられる。なお「延喜式」神名帳に
〔原始・古代〕
現郡域には旧石器時代および縄文時代の遺跡ともに知られていない。弥生時代の遺跡もきわめて少ないが、いわゆる
「和名抄」記載の四郷、また「延喜式」神名帳記載の三社はいずれも現福山市域となっている。平安時代に入ると、現福山市域には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報