朝日日本歴史人物事典 「山名義幸」の解説
山名義幸
南北朝時代の武将。師義の長子。民部少輔,讃岐守。父師義病弱のため永和1/天授1(1375)年7月以前に丹後守護を譲られ,同4年11月には室町幕府侍所頭人に任ぜられている。また永徳1/弘和1(1381)年7月以前に出雲守護を加えられたが,その後は弟満幸が将軍足利義満に寵愛され,至徳2/元中2(1385)年7月までに丹後が満幸に更迭され,出雲も同3年9月以前に満幸への交替を余儀なくされた。その後の動静は不明。『明徳記』に病弱と伝え,明徳の乱(1391)にも参陣していないところをみれば,乱以前に病死していたものと推定される。
(今谷明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報