康暦(読み)コウリャク

デジタル大辞泉 「康暦」の意味・読み・例文・類語

こうりゃく〔カウリヤク〕【康暦】

南北朝時代北朝後円融天皇の時の年号。1379年3月22日~1381年2月24日。

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精選版 日本国語大辞典 「康暦」の意味・読み・例文・類語

こうりゃくカウリャク【康暦】

  1. 南北朝時代、北朝の後円融天皇の代の年号。永和五年(一三七九)三月二二日、天変疾疫兵革などにより改元南朝長慶天皇の代の天授五~七年にあたる。将軍足利義満、管領斯波義将の時代。康暦三年(一三八一)二月、永徳(えいとく)と改元された。出典は「新唐書」の「承成康之暦業」による。

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日本の元号がわかる事典 「康暦」の解説

こうりゃく【康暦】

日本の元号(年号)。室町時代(南北朝時代)の1379年から1381年まで、後円融(ごえんゆう)天皇の代の北朝が使用した元号。前元号は永和(えいわ)。次元号は永徳(えいとく)。1379年(永和5)3月22日改元。疫病流行の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『唐書(とうじょ)』を出典とする命名。康暦年間の南朝の天皇は長慶(ちょうけい)天皇。南朝は天授(てんじゅ)(1375~1381年)、弘和(こうわ)(1381~1384年)の元号を使用した。室町幕府の将軍は足利義満(よしみつ)(3代)。1378年(永和4/天授4)に邸宅幕府政庁北小路室町の「花の御所」に移した義満は、有力な大名を排斥することで将軍の権力の強化を図っていった。義満は家督相続で対立のあった土岐(とき)氏一族の内紛を画策して、1379年(康暦1/天授5)に土岐頼康(よりやす)らの追討令を出した。同年には康暦の政変が起こり、義満は幕府管領の細川頼之(よりゆき)を罷免している。また、関東では、鎌倉公方足利氏満(うじみつ)を諫めるため関東管領の上杉憲春(のりはる)が自害する事件が起こり、翌1380年(康暦2/天授6)には、下野守護の小山義政(おやまよしまさ)が国司の宇都宮基綱(もとつな)を殺害し鎌倉公方に反旗を翻す乱が起こった。

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