朝日日本歴史人物事典 「河野通尭」の解説
河野通尭
生年:生年不詳
南北朝時代の武将。通朝の子。のち通直と改名。讃岐守,のち刑部大輔。父の死後幼少にして伊予国(愛媛県)の豪族河野氏の家督を継ぐ。初め北朝方であったが,四国統一を目指す讃岐国(香川県)の細川頼之に攻められて貞治4/正平20(1365)年九州に逃れ,懐良親王に帰服して南朝方に転じる。応安1/正平23年に帰国したのちも細川勢と戦い,康暦1/天授5(1379)年4月の頼之の管領失脚後は,北朝方に復帰して伊予国守護に任じられた。同年11月,伊予国桑村郡佐志久原(東予市)で頼之軍と戦って戦死。<参考文献>『愛媛県史古代Ⅱ・中世』
(山内譲)
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