河野通尭(読み)こうの みちたか

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野通尭」の解説

河野通尭 こうの-みちたか

?-1379 南北朝時代の武将
河野通朝(みちとも)の子。細川頼之(よりゆき)との抗争で父が戦死し,貞治(じょうじ)3=正平(しょうへい)19年(1364)伊予(いよ)(愛媛県)河野家をつぐ。頼之に対抗するため南朝方帰順,懐良(かねよし)親王から伊予守護に任じられ通直の名をあたえられる。康暦(こうりゃく)元=天授5年頼之が幕府管領(かんれい)を罷免されたのち,北朝方に復帰するが,同年11月6日頼之に襲撃され自害した。幼名は徳王丸。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の河野通尭の言及

【河野氏】より

…中世の伊予国(愛媛県)の豪族。古代の越智(おち)氏の流れをくむと伝えられる。風早郡河野郷(現,北条市)を根拠地とする。源平合戦時に,通清・通信父子が源氏方にくみして勢力をのばし,戦後は御家人の地位を得て伊予国最大の武士団に成長した。その支配領域は,風早郡を中心にして中東予に及んだ。承久の乱(1221)では通信が京方に味方し,所領所職の大半を失ったが,その子通久が鎌倉方についたのでかろうじて命脈を保った。…

※「河野通尭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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