改訂新版 世界大百科事典 「山城国葛野郡班田図」の意味・わかりやすい解説
山城国葛野郡班田図 (やましろのくにかどのぐんはんでんず)
山城国葛野郡のうちの9ヵ里の田図。この9ヵ里はいずれも同郡の条里の1条,2条に比定されている。同郡の嵯峨野付近(桂川以北)の1条,2条は正南北の方位をもつ他の条里と異なり,約16度西に傾いたプランをもつことが知られているが,この9ヵ里の田図のうち6ヵ里はこの約16度西に傾いた条里地域に比定されている。現地比定は古くから研究され,現在ほぼ確定されている。本図は828年(天長5)の班田図を1101年(康和3)に書写したものと考えられている。いずれも東寺に伝来したものであるが,本図の書写の理由,東寺に伝来した理由などはいずれも明らかではない。なお現在はすべて寺外に流出し,そのうちの1ヵ里の田図は所在不明。また《東寺百合文書》中に,本図に関連する3片の断簡がみえる。
執筆者:中野 栄夫
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