山崎達之輔(読み)ヤマザキ タツノスケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「山崎達之輔」の解説

山崎 達之輔
ヤマザキ タツノスケ


肩書
衆院議員,農相

生年月日
明治13年6月19日

出生地
福岡県

学歴
京都帝大法科大学〔明治39年〕卒

経歴
台湾総督府参事官から文部省普通学務局長などを経て退官し、大正13年以後、衆議院議員当選7回。田中義一内閣の文部政務次官のあと、昭和9年、党議に反して農相に就き、政友会を除名された。のちに昭和会を結成し、林内閣では農相兼逓相を務める一方、斎藤隆夫演説事件を機に聖戦貫徹議員連盟を結成、政友会の中島知久平派と結んで民政党切り崩しと政友会自壊に奔走した。戦時中は翼賛政治協会委員として戦時協力体制をリードし、東条内閣改造に際しては翼政会を代表して農相、農商務相を務めている。

没年月日
昭和23年3月15日

家族
息子=山崎 平八郎(衆院議員) 弟=山崎 巌(内務官僚)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「山崎達之輔」の解説

山崎 達之輔
ヤマザキ タツノスケ

昭和期の政治家 衆院議員;農相。



生年
明治13(1880)年6月19日

没年
昭和23(1948)年3月15日

出生地
福岡県

学歴〔年〕
京都帝大法科大学〔明治39年〕卒

経歴
台湾総督府参事官から文部省普通学務局長などを経て退官し、大正13年以後、衆議院議員当選7回。田中義一内閣の文部政務次官のあと、昭和9年、党議に反して農相に就き、政友会を除名された。のちに昭和会を結成し、林内閣では農相兼逓相を務める一方、斎藤隆夫演説事件を機に聖戦貫徹議員連盟を結成、政友会の中島知久平派と結んで民政党切り崩しと政友会自壊に奔走した。戦時中は翼賛政治協会委員として戦時協力体制をリードし、東条内閣改造に際しては翼政会を代表して農相、農商務相を務めている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山崎達之輔」の解説

山崎達之輔 やまざき-たつのすけ

1880-1948 大正-昭和時代前期の政治家。
明治13年6月19日生まれ。山崎巌(いわお)の兄。大正13年衆議院議員(当選7回)。昭和9年岡田内閣の農相,12年林内閣の農相兼逓信相,17年翼賛政治会常任総務,18年東条内閣の農相(のち農商相)。戦後公職追放となった。昭和23年3月15日死去。69歳。福岡県出身。京都帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山崎達之輔」の解説

山崎 達之輔 (やまざき たつのすけ)

生年月日:1880年6月19日
昭和時代の官僚;政治家。衆議院議員
1948年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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