20世紀日本人名事典 「山本留次」の解説 山本 留次ヤマモト トメジ 明治〜昭和期の出版人,出版事業家 博進社社長;博文館総支配人。 生年明治5年9月28日(1872年) 没年昭和27(1952)年9月28日 出生地新潟県長岡市 経歴13歳ごろから博文館創業者の大橋左平のもとで新聞配達をしながら中学卒業。明治19年左平に従って上京、博文館第1号社員となった。その後総支配人。30年用紙会社の博進社設立で同社専務、のち社長、会長。42年文運堂を創業、日記、手帖、文具を製造、販売した。43年欧米視察、大正10年東京紙商同業組合長。「博文館日記」生みの親といわれる。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本留次」の解説 山本留次 やまもと-とめじ 1872-1952 明治-昭和時代の出版事業家。明治5年9月28日生まれ。19年大橋佐平にしたがって上京,大橋が創業した博文館の第1号社員となる。のち総支配人をつとめ,洋紙店博進社の社長をかねる。42年文具の文運堂を創業。「博文館日記」の創案者とされる。昭和27年9月28日死去。80歳。新潟県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by