山村甚兵衛(読み)やまむらじんべえ

改訂新版 世界大百科事典 「山村甚兵衛」の意味・わかりやすい解説

山村甚兵衛 (やまむらじんべえ)

江戸時代に木曾代官を世襲した名族。中世末の木曾領主木曾義昌の重臣であった山村道祐(良候(たかとき))が,徳川家康信任を得て木曾代官に挙用されるのは1600年(慶長5)の関ヶ原の戦直後である。02年道祐の死後父の遺跡を継いだ良勝がはじめて甚兵衛を名のり,幕末山村良祺に至るまで甚兵衛を通称した。甚兵衛管地の木曾は1615年(元和1)に尾張徳川義直に封与されたが,そのとき甚兵衛良勝は義直に転属したため,以後は事実上の木曾代官として最後まで福島の居館にとどまった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の山村甚兵衛の言及

【木曾川】より

…豊臣秀吉は,木曾を直轄地とし,木曾義昌を代官に用いて木曾と木曾川を支配させ,方広寺大仏殿などの用材を伐り出させた。徳川家康もこれに着目し,側近大久保長安が義昌の旧臣山村甚兵衛を代官として,木曾と木曾川を支配させ,木曾川流域の要地も直轄地として押さえ,木曾材を採出した。江戸城,駿府城,名古屋城の修築・築城,城下経営などの大土木工事による未曾有の木材需要に,木曾川の運材も空前絶後の隆盛であった。…

※「山村甚兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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