朝日日本歴史人物事典 「山田宇右衛門」の解説
山田宇右衛門
生年:文化10.9.9(1813.10.2)
幕末の長州(萩)藩の政治家。名は頼毅。宇右衛門は通称。号は星山,治心気斎。増野家に生まれ,大組の山田家,禄100石に入る。安政1(1854)年相州警衛総奉行手元役,同3年徳地代官,万延1(1860)年遠近方に任ずる。文久2(1862)年政務座役,学習院用掛として尊王攘夷運動に参画。藩内政争で中立的立場をとり,同3年奥阿武代官,元治1(1864)年郡奉行を務め,慶応1(1865)年表番頭格,政務座を務め,参政首座として木戸孝允と討幕派長州藩の政務の頂点にいたが,病死。
(井上勝生)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報