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山田宇右衛門 やまだ うえもん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山田宇右衛門 やまだ-うえもん

1813-1867 江戸時代後期の武士。
文化10年9月9日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。吉田大助に山鹿流兵学をまなび,大助の養子で幼少の吉田松陰を後見する。兵学教授,参政首座となり,木戸孝允(たかよし)らと藩政刷新にあたった。慶応3年11月11日死去。55歳。本姓は増野。名は頼毅(よりき)。号は治心気斎。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

山田宇右衛門

没年:慶応3.11.11(1867.12.6)
生年:文化10.9.9(1813.10.2)
幕末の長州(萩)藩の政治家。名は頼毅。宇右衛門は通称。号は星山,治心気斎。増野家に生まれ,大組の山田家,禄100石に入る。安政1(1854)年相州警衛総奉行手元役,同3年徳地代官,万延1(1860)年遠近方に任ずる。文久2(1862)年政務座役,学習院用掛として尊王攘夷運動に参画。藩内政争で中立的立場をとり,同3年奥阿武代官,元治1(1864)年郡奉行を務め,慶応1(1865)年表番頭格,政務座を務め,参政首座として木戸孝允と討幕派長州藩の政務の頂点にいたが,病死。

(井上勝生)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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