山田浜村
やまだはまむら
[現在地名]楢葉町山田浜
東は太平洋、南は岩沢川を挟み下北迫村(現広野町)、西は山田岡村。集落は海岸寄りの平坦地である仲入・後中に集中し、丘陵地の上ノ台・羽出庭に散在する。清隆寺分・七反田・破町・荒巻に条里の遺構があったが、農業構造基盤改良事業で消滅した。もと木戸山田村(山田村)の内で、元禄九年(一六九六)山田浜村・山田岡村に分村。近世の領主は磐城平藩領から延享四年(一七四七)幕府領となる。同年の村明細帳(内藤家文書)では人数二七二、馬三五。天保郷帳に木戸山田浜村とあり、「古者 木戸山田村、名子屋村之内」と注記される。浜付村のため津出しが行われ、河岸役は名主の松本家が勤めていた(松本家文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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