山田 節男
ヤマダ セツオ
- 肩書
- 広島市長,参院議員(民社党)
- 生年月日
- 明治31年12月26日
- 出生地
- 広島県
- 学歴
- 東京帝国大学経済科〔大正12年〕卒
- 経歴
- 昭和5年オックスフォード大学に留学、翌年1年2ケ月間ILOの調査室員となる。帰国後、東京市社会局に勤務、社会事業家として“ケースワーカー”などの語を日本に最初に紹介した。22年広島地方区より参院議員に当選、通算3回当選。42年広島市長に転じる。広島市総合計画をたて、政令都市づくりの基礎を固めた。46年に再選されたが再任3年目で亡くなった。
- 没年月日
- 昭和50年1月8日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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山田 節男
ヤマダ セツオ
昭和期の政治家 広島市長;参院議員(民社党)。
- 生年
- 明治31(1898)年12月26日
- 没年
- 昭和50(1975)年1月8日
- 出生地
- 広島県
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学経済科〔大正12年〕卒
- 経歴
- 昭和5年オックスフォード大学に留学、翌年1年2ケ月間ILOの調査室員となる。帰国後、東京市社会局に勤務、社会事業家として“ケースワーカー”などの語を日本に最初に紹介した。22年広島地方区より参院議員に当選、通算3回当選。42年広島市長に転じる。広島市総合計画をたて、政令都市づくりの基礎を固めた。46年に再選されたが再任3年目で亡くなった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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山田節男 やまだ-せつお
1898-1975 昭和時代の政治家。
明治31年12月26日生まれ。オックスフォード大に留学。ILO調査官,総同盟副会長などをつとめる。昭和22年参議院議員(当選3回,民社党)。42年広島市長となり,核兵器廃絶と核実験の即時全面禁止をうったえつづけた。昭和50年1月8日死去。76歳。広島県出身。東京帝大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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山田 節男 (やまだ せつお)
生年月日:1898年12月26日
昭和時代の政治家。広島市長;参院議員
1975年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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