山野廻村
やまのまわりむら
戦国末期から近世初頭までにみられた村落で、芸北山地の東端、阿佐山(一二一八・二メートル)・畳山(一〇二九メートル)の南傾斜面一帯に位置する。村名の由来は阿佐山の「北之方引廻居候故か」という(国郡志下調書出帳)。
元和五年(一六一九)の安芸国知行帳に高八七八・五六三石とあるが、近世初頭の村切によって、溝口・高野・移原・米沢・小原・大暮の六ヵ村に分村した。その年代は各村ともはっきりせず一様に「何時頃より相分り申候哉難知」と伝えるが(国郡志下調書出帳)、諸史料から正保(一六四四―四八)から寛文(一六六一―七三)年代と考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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