日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡本宮」の意味・わかりやすい解説
岡本宮
おかもとのみや
舒明(じょめい)・斉明(さいめい)両天皇の宮室。630年(舒明天皇2)舒明天皇は飛鳥(あすか)岡の傍らに岡本宮を営んだが、636年火災にあって田中宮に移った。斉明天皇は656年(斉明天皇2)岡本宮の故地に後(のちの)岡本宮を営んで川原宮より移ったが、同年火災にあっている。天武(てんむ)天皇は壬申(じんしん)の乱(672)の勝利後、岡本宮の南に飛鳥浄御原(きよみはら)宮を営んで即位した。なお岡本宮の位置については、浄御原宮の位置を、通説のように奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村飛鳥の飛鳥寺北西の飛鳥小学校周辺に考えると、岡本宮はその北方に位置することになる。しかし飛鳥寺南方の伝承板蓋(いたぶき)宮跡を浄御原宮にあてる説もあり、今後の考古学的調査が課題となっている。
[中尾芳治]