日本大百科全書(ニッポニカ) 「川原宮」の意味・わかりやすい解説
川原宮
かわらのみや
斉明(さいめい)天皇が飛鳥(あすか)に営んだ宮室。655年(斉明天皇1)飛鳥板蓋(いたぶき)宮で重祚(ちょうそ)した斉明天皇は、小墾田(おはりだ)に瓦葺(かわらぶ)きの宮殿をつくろうとしてならず、板蓋宮も火災にあったので飛鳥川原宮に遷居したが、翌年後飛鳥岡本宮(のちのあすかのおかもとのみや)を設けてそこに移った。1957、58年(昭和32、33)川原寺(弘福寺(ぐふくじ))跡発掘調査の際、西金堂、中門の下から寺創建以前の石敷と2本の溝および伽藍(がらん)地のほぼ全域に整地の跡が認められ、川原宮関係の遺構と推定されている。
[中尾芳治]
『奈良国立文化財研究所編・刊『弘福寺 川原寺発掘調査報告』(1960)』▽『八木充著『古代日本の都』(講談社現代新書)』