岡田正之(読み)オカダ マサユキ

20世紀日本人名事典 「岡田正之」の解説

岡田 正之
オカダ マサユキ

明治・大正期の漢学者 学習院名誉教授;東京帝大教授。



生年
元治1年9月5日(1864年)

没年
昭和2(1927)年7月28日

出生地
越中国新川郡清水村(現・富山県富山市)

別名
字=君格,号=剣西

学歴〔年〕
帝国大学(現・東京大学)古典講習漢書科〔明治20年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔大正10年〕

経歴
富山藩藩学の鉅匠・呉陽(号)を父に生まれる。幼少より家学を受け、長じて東京に出て小永井小舟重野成斎について学ぶ。帝国大学文科大学書記、陸軍幼年学校教授、東京帝大史料編纂助員、陸軍中央幼年学校教授、史料編纂員、東京帝大文科大学講師を経て、明治39年学習院教授。40年東京帝大助教授兼任、大正13年同教授兼任。支那文学概論、支那文学史、日本漢文学史を講じた。15年御講書始め講師、同年大東文化学院教授兼任。同年退官し学習院名誉教授。没後の昭和4年、代表的な著書「日本漢文学史」は日本初の漢文学史の研究書といわれる。他の著書に「近江奈良朝の漢文学」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田正之」の解説

岡田正之 おかだ-まさゆき

1864-1927 明治-大正時代の漢文学者
元治(げんじ)元年9月5日生まれ。帝国大学史料編纂(へんさん)員,陸軍幼年学校教授,学習院教授などをへて,大正13年東京帝大教授となる。没後の昭和4年刊行された「日本漢文学史」は,わが国最初期の漢文学史研究の成果。昭和2年7月28日死去。64歳。越中(富山県)出身。帝国大学卒。字(あざな)は君格。号は剣西。著作はほかに「近江奈良朝の漢文学」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「岡田正之」の解説

岡田 正之 (おかだ まさゆき)

生年月日:1864年9月5日
明治時代;大正時代の文学者。文学博士;学習院大学教授
1927年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の岡田正之の言及

【十七条憲法】より

…なお17という条数は陰と陽の極数の和とされている。《上宮聖徳法王帝説》はこの憲法の制定を乙丑年(605∥推古13)7月としているが,岡田正之は讖緯(しんい)説に基づいて甲子年(604∥推古12)に定めたものとみられるから,《日本書紀》のほうが正しいとする。また狩谷棭斎(かりやえきさい),津田左右吉などは,この憲法を《日本書紀》の撰者などがのちに偽作したものとするが,その根拠はあまり有力とはいえない。…

※「岡田正之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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