日本歴史地名大系 「岩脇寺」の解説
岩脇寺
いわわきじ
岩脇にある。養老二年(七一八)仁聞の開基と伝える。織豊期以降の成立と思われる六郷二十八山本寺目録(太宰管内志)に本山分末寺の一として「日野山岩脇寺」とみえる。また中世末の成立と思われる六郷山定額院主目録(同書)に「岩脇寺、正等院徒、六房有之」とみえるが房跡は確認されていない。天正年中(一五七三―九二)堂塔焼失、寛永五年(一六二八)に再建されたという。天明年中寺院名簿(同書)には「田渋郷横峰村日野山岩脇寺ハ島原領、山門末、一本尊不動、十二天、天神、今宮、一奥ノ院ノ岩屋、一六所権現、一高山六所権現岩脇寺預、一高山堂正観音同断、一本堂、阿弥陀、観音、十王、岩脇寺末寺喜福寺在同村」とみえるが、小堂しかなかったらしく、寛政五年(一七九三)三月肥前島原藩主松平忠房に願出て再建された(岩脇寺文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報