岸本 賀昌
キシモト ガショウ
- 肩書
- 衆院議員(民政党),沖縄市長
- 生年月日
- 尚泰21年7月1日(1868年)
- 出生地
- 琉球・那覇(沖縄県那覇市)
- 学歴
- 慶応義塾卒
- 経歴
- 第1回県費留学生の1人。明治15年沖縄県庁に入り、のち内務省に移り、石川、沖縄各県参事官、同県学務課長などを経て45年沖縄県初の衆院議員に当選、以来4回代議士となった。また沖縄毎日新報社長、沖縄共立銀行頭取、沖縄電気会社取締役などを務め、大正14年第3代沖縄市長となった。
- 没年月日
- 昭和3年2月28日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
岸本賀昌
没年:昭和3.2.28(1928)
生年:尚泰21.7.1(1868.8.18)
近代沖縄の行政官,政治家。沖縄県那覇市に生まれる。明治15(1882)年,第1回県費留学生として謝花昇,太田朝敷らと上京,学習院,慶応義塾で政治・経済学を学ぶ。卒業後,奈良原繁沖縄県知事のもとで地方制度改正に取り組む。のち内務省地方局に移り,石川県参事官となる。33年帰郷,沖縄県参事となり県立二中や県立図書館建設に尽力。大正1(1912)年,沖縄初の衆院選挙に政友会公認で当選,のち憲政会に転じる。以後当選4回。その後,沖縄選出の議員は中央政局の変動に対応して党籍を変わる「一県一党」主義の行動様式が形成された。『沖縄毎日新報』社長,沖縄共立銀行頭取を務め,14年,第3代の那覇市長となる。那覇市民の水問題解決のために水道敷設事業を精力的にすすめた。公務で上京中倒れ,口腔癌のため,入院先の慶応大病院で死去。<参考文献>『沖縄県史』『那覇市史』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
岸本 賀昌
キシモト ガショウ
明治〜昭和期の政治家 衆院議員(民政党);沖縄市長。
- 生年
- 尚泰21年7月1日(1868年)
- 没年
- 昭和3(1928)年2月28日
- 出生地
- 琉球・那覇(沖縄県那覇市)
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾卒
- 経歴
- 第1回県費留学生の1人。明治15年沖縄県庁に入り、のち内務省に移り、石川、沖縄各県参事官、同県学務課長などを経て45年沖縄県初の衆院議員に当選、以来4回代議士となった。また沖縄毎日新報社長、沖縄共立銀行頭取、沖縄電気会社取締役などを務め、大正14年第3代沖縄市長となった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
岸本賀昌 きしもと-がしょう
1868-1928 明治-昭和時代前期の官僚,政治家。
尚泰王21年7月1日生まれ。明治15年第1回沖縄県県費留学生として上京し,慶応義塾にまなぶ。石川県参事官,沖縄県参事官をへて45年沖縄県初選出の衆議院議員(当選4回,民政党)。大正14年那覇(なは)市長。昭和3年2月28日死去。61歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
岸本 賀昌 (きしもと がしょう)
生年月日:1868年7月1日
明治時代-昭和時代の行政官;政治家。那覇市長;「沖縄毎日新報」社長
1928年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報