20世紀日本人名事典 「島多訥郎」の解説 島多 訥郎シマダ トツロウ 大正・昭和期の日本画家 生年明治31(1898)年6月24日 没年昭和58(1983)年11月20日 出生地栃木県 本名島田 訥郎 学歴〔年〕早稲田大学文学部〔大正8年〕中退 主な受賞名〔年〕院展大観賞〔昭和32年〕「森と兎」,院展文部大臣賞〔昭和44年〕「海と溶け合う太陽」 経歴郷倉千靱に師事。大正13年院展に初入選し、昭和5年再入選後、院展に出品を続ける。佳作となった28年「月雪の山」をはさんで、25〜31年と連続して奨励賞となる。32年「森と兎」が日本美術院賞となり、同年同人となる。明るく平面的な色彩を用い、デザイン的要素をとり入れた花鳥画を得意とし、特異な存在として活躍した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島多訥郎」の解説 島多訥郎 しまだ-とつろう 1898-1983 大正-昭和時代の日本画家。明治31年6月24日生まれ。郷倉千靱(せんじん)に師事し,大正13年より院展に出品をつづけ,昭和32年「森と兎(うさぎ)」が日本美術院賞を,44年「海と溶け合う太陽」が文部大臣賞を受賞した。あかるい色彩とデザイン性のつよい画風を持ち味とした。昭和58年11月20日死去。85歳。栃木県出身。早大中退。本名は島田訥郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by