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花と鳥を主題とする中国,日本の絵画で,草木や虫・獣を含む。中国では六朝時代にすでに蟬雀(せんじやく)図などがかかれ,唐代には薛稷(せつしよく)や辺鸞(へんらん)が鶴,折枝花をかき有名であった。しかし独立の部門として本格的に成立したのは五代からで,蜀に黄筌(こうせん),南唐に徐煕(じよき)が出,花鳥画の二大源流をなした。黄筌と子の黄居寀(こうきよさい)らの黄氏体は,鉤勒塡彩(こうろくてんさい)法を用いて華麗な富貴さに特色があり,徐熙と孫の徐崇嗣らの徐氏体は,水墨と没骨(もつこつ)画法を取り入れて瀟洒な野逸さに特色があった。次に北宋の画院では,初め黄居寀が勢力を振るい黄氏体が指導様式となったが,しだいに趙昌,易元吉,崔白などの写生画法が採用され,末期の徽宗画院は,写実を重視した徐黄折衷の院体画を成就した。南宋の画院はこの院体画を継承し,李迪(りてき),林椿(りんちん)らが動植物の性をとらえんとして,観察の細かい精緻な花鳥をかいた。また文人や禅僧の間では,水墨花卉(かき)画が作られ,楊无咎(ようぶし),趙孟堅,牧谿(もつけい)らがいた。元代は趙孟頫(ちようもうふ)の復古主義唱道にともない,北宋以前の絵画が志向され,銭選の白描画,王淵の黄氏体,張中の水墨花鳥画が特筆される。しかし明代の画院は,再び宋の院体を標榜し,辺文進,林良,呂紀らが装飾的画面を制作した。また見のがせぬのは常州(江蘇省)花鳥画で,すでに北宋時代から居寧などが草虫図をかき,明代には孫竜,呂敬甫などが現れた。清初の惲格(うんかく)もこの伝統を継ぎ,その没骨風花鳥画は,蔣廷錫(しようていしやく)らによって宮廷に採用され,清一代を風靡した。
執筆者:曾布川 寛
日本の花鳥画は中国の花卉翎毛(れいもう)画に対し,花鳥風月ないしは雪月花といった自然現象全体を対象として包含する。古代の花鳥画は遺品が少なく,大陸画風を直接踏襲した唐絵を除くと,正倉院の《麻布山水》に見られるように,点景として存在する程度である。平安時代にはその主題を和歌から判断すると,四季絵,月次(つきなみ)絵,名所絵の画中に登場する花鳥は,自然現象や物語の中にあって人生の機微とかかわりあいながら展開し,やがてやまと絵花鳥画として定着する。中世において禅宗の移入とともに,やまと絵の色彩豊かな花鳥も,水墨表現をとり,水墨花鳥画が成立する。ここでは松竹梅,蘭石といった四季を通じて不変のものと,色や形よりも内部に秘められたもの,生命力といったものが表出され,鳥を写すのに,〈飛・鳴・宿・食〉の表現も,大自然の律動の把握が主題だった。近世に入ると,障壁画に花鳥は咲き乱れ歌った。そこでは自然が生活の中になだれこみ,ついには衣服の意匠にまで雪月花は躍動することになる。大陸伝来の花喰鳥文は,日本では松喰鶴へ変貌し,松竹梅は桜と秋草へと推移した。主題の多様化は様式の写実から理想化へ,そして表出から象徴への変化に対応して装飾化へとすすんだ。江戸時代の琳派にみられる花鳥は,古典物語や伝統的やまと絵,加えて漢画の精神性を祖型として成立したもので,この傾向は現代に及んでいる。
執筆者:衛藤 駿
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東洋画の伝統的画題。花や鳥のたたずまい、またその遊ぶさまを多くは自然の景のなかに描いたもので、山水・人物画とともにその遺品も多い。中国では、花鳥画はほぼ唐代におこり、続く五代には早くも二つのスタイルに分かれる。蜀(しょく)の黄筌(こうせん)が始めた明確な線描と濃彩による「黄氏(こうし)体」と、江南の徐煕(じょき)が創始した水墨を主に淡彩を加えた「徐氏体」との2種である。以後、宋(そう)・元(げん)代にはこの2流が画院で総合されて発達し、宋の徽宗(きそう)皇帝、李迪(りてき)、李安忠(りあんちゅう)、元の銭舜挙(せんしゅんきょ)、明(みん)の呂紀(りょき)など多くの名手が輩出した。
日本でも花や鳥を描くことは、絵巻などの添景にしばしばみられるが、これが独立した画題として屏風(びょうぶ)や襖(ふすま)などの大画面に取り上げられるようになるのは、鎌倉時代も末期であろう。残念ながら当時の遺品はないが、絵巻のなかには、これが描かれた屏風、襖、杉戸などが多く見受けられる。これに続く室町時代になると、宋・元の本格的な花鳥画も輸入され、これらの影響のもと、周文、小栗宗湛(おぐりそうたん)から雪舟を経て、花鳥画はしだいに流行の兆しをみせる。これら水墨的要素の強い漢画系花鳥画を受け継ぎつつ、これに大和絵(やまとえ)的要素を結合させたのが桃山時代の狩野(かのう)派によって確立された金碧(きんぺき)の花鳥画である。それらは豪華絢爛(けんらん)とよぶにふさわしく、この時代に全盛を極め、まさしく時代精神の端的な表現といってよいであろう。こののち、花鳥画は、土佐派や琳(りん)派の作家をはじめ、円山(まるやま)・四条派、文人画、さらには洋風画の人々までを含め、さまざまなスタイル、さまざまな内容を盛り込んで大いに流行し、その長い歴史は現在にまで及んでいる。なお、花鳥画から派生した分野に、草虫画と翎毛(れいもう)画(家畜や家禽(かきん)を描いたもの)があるが、日本ではこれをも含めて花鳥画とよんでいる。
[榊原 悟]
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出典 シナジーマーティング(株)日本文化いろは事典について 情報
… 江戸の町人文化の成熟にともなって,後期には主題の分化がいちじるしく進んだ。とくに際だって注目されるのは,他の画派にあってはつねに主要な関心事である風景画と花鳥画の両分野の,浮世絵における成立と流行である。風景画には,特定の土地の風光の美とそこに営まれる人々の暮しぶりを紹介しようとした名所絵と,旅する人の目で宿駅や道中の景観と風俗とを描いた道中絵の二様があり,いずれも人事と深くかかわりをもった人間臭い風景描写を特色としている。…
…時の実力者にいち早く接近し,需要層の拡大に素早く対応したのである。元信は山水,人物,花鳥のあらゆる題材を手がけたが,とくに花鳥画では後の基本的様式となる真体著色,行体淡彩,金地著色の3種のスタイルを生み出している。画壇における狩野派の地位は,元信の孫の永徳によってさらに高められた。…
…切花,果実,食器,喫煙具,楽器,書物,死んだ魚や小禽獣など,人間の生活に深いかかわりをもつ,それ自体では動かぬ種々の事物を卓上などに自由に構成・配置して描いた西洋絵画の一分野。昆虫やネズミなどの生きた小動物が従属的に描き込まれることもまれでないが,東洋における関連分野である花鳥画のように,鳥や自然の姿のままの,すなわち土に根を下ろした植物が主役を占めることはない。呼称にはゲルマン語系(英語のstill life,ドイツ語のStillebenはともにオランダ語のstillevenに基づく)とロマン語系(フランス語のnature morte,イタリア語のnatura morta)の二つがあり,いずれも〈動かぬ事物〉を原義として,〈静物画〉という包括的概念の確立よりやや遅れて18世紀に成立した。…
…これらのなかで,真珠庵の《山水図襖絵》は,周文の画風の最も良質な部分を受け継いだ傑作として名高い。やまと絵障屛画の遺品としては,伝土佐広周筆《花鳥図屛風》(サントリー美術館)が元・明花鳥画の影響を示して興味深く,《浜松図屛風》(里見家),《四季日月図屛風》(東京国立博物館),《日月(じつげつ)山水図屛風》(大阪金剛寺)など,後期のやまと絵景物図屛風のもついきいきとした情感は,やまと絵の伝統に新しい息吹を伝えるものとして注目される。
[地方文化の興隆]
守護大名の勢力の台頭による地方文化の興隆が,美術の新しい創造に結びついた例としては,雪舟がまずあげられる。…
※「花鳥画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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