日本歴史地名大系 「島溝川村」の解説 島溝川村しまみぞかわむら 京都府:竹野郡網野町島溝川村[現在地名]網野町字島津(しまづ)掛津(かけづ)村の南に位置し、東に尾坂(おさか)山がある。愛宕(あたご)山の東北山麓の低地沿いに発達した村。丹後国田数帳に<資料は省略されています>とみえる「嶋庄」の地に比定される。三条殿は船木(ふなき)庄(現弥栄町)地頭の三条大納言家。また中世末の丹後国御檀家帳に<資料は省略されています>と記される「みそ川」、同書に続いて「しまのたかをと申城」とある「しま」も当村をさすとされる。慶長検地郷村帳に高九三二・六四石「島村」とみえ、続けて「島村之内溝川村」と記される。延宝三年郷村帳では一括して「島村」で記されているが延宝九年(一六八一)の延高では一千五六一石余、村名も「島溝川村」となる(天和元年宮津領村高帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by