20世紀日本人名事典 「島田数雄」の解説 島田 数雄シマダ カズオ 明治・大正期の新聞人 上海日報主筆。 生年慶応2年(1866年) 没年昭和3(1928)年5月23日 出生地肥後国(熊本県) 学歴〔年〕二松学舎卒 経歴熊本藩士の子に生まれる。東京に遊学し、二松学舎で三島中洲・塩野時敏に師事して漢学を修め、郷里・熊本の済々黌で教職に就く。明治33年頃に井手三郎らと上海に同文滬報館を設立、漢字新聞「亜洲日報」を創刊。ついで井手が創刊した邦字新聞「上海日報」の主筆となり、30年間近く編集を担当した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島田数雄」の解説 島田数雄 しまだ-かずお 1866-1928 明治-大正時代の新聞人。慶応2年生まれ。二松学舎で漢学をおさめ,郷里熊本の済々黌(せいせいこう)で教職につく。明治33年ごろ井手三郎らと上海に同文滬報(こほう)館を設立,漢字紙「亜洲日報」を創刊。ついで井手が創刊した邦字紙「上海日報」の主筆となり,30年ちかく編集を担当した。昭和3年5月23日死去。63歳。号は太堂。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by