邦字新聞(読み)ほうじしんぶん

改訂新版 世界大百科事典 「邦字新聞」の意味・わかりやすい解説

邦字新聞 (ほうじしんぶん)

外国の日本人コミュニティで発行されている日本語を使用した新聞の総称。日系新聞ともいう。移民新聞immigrant press,より広くいえばいわゆる少数民族紙ethnic pressの一種。それには政治党派,宗教団体,特定グループの機関紙,連絡・通信も含まれるが,ふつうは,そのなかの一般(商業)紙を指すことが多い。なお,植民地新聞も広義には邦字新聞といえるが,その多くは日本の植民地支配の出先機関のメディア〈準広報紙〉という性格をもつものである。

1982年4月現在15種と最も多く邦字新聞が発行されているアメリカにおける最初の邦字紙は,1886年7月,サンフランシスコで出された《東雲(しののめ)》(発行者中村隼雄,編集掛島内寛治)とされる。中村は福音会に所属,島内は帰国後大井憲太郎の普通選挙期成同盟,日本労働協会などで活躍した人物である。同年8月には週刊《サンフランシスコ・レビュー》が発刊された。いずれも,ごく短期間しか存続しないが,邦字紙の先駆といってよい。移民の最も多かったハワイにおける最初の邦字紙は1892年6月の週刊《日本週報》だとされる。アメリカにおける〈邦人発展の揺籃地〉ともいわれるオークランド(サンフランシスコの対岸)では,1887年9月8日,畑下熊野,石坂公歴らによって,月3回刊の邦字紙《新日本》が刊行される(~1888年2月13日,16号まで)。翌88年5月にオークランドで発刊される〈世界共和〉を目的とうたう《世界の魁(さきがけ)》などが,この時期の邦字紙の一つの典型である。《新日本》などは,200部ほど刷って〈内地の政客に配分した〉といわれているように,〈亡命〉してきた民権派青年が,現地の日系コミュニティよりも,〈内地〉(日本国内の読者)を主対象として発行する,すでに日本本土では許容されない政治〈言論〉新聞であった。90年前後に出される《自由》(サンフランシスコ,1889),《遠征》(同,1891)などは,みなこの類型に属する。この種の新聞は,前述の〈邦字新聞〉の定義からは若干ずれ,〈亡命者新聞〉に接近する異系ではある。しかし,のちにそうした新聞活動は社会主義者,共産主義者に引き継がれ,とくにアメリカにおける邦字紙界における重要な一要素として残る。同時にその過程は,新聞の歴史のなかで,宗派が伝道のために出す新聞,政治〈言論〉紙が日系コミュニティの拡大・安定につれて,しだいに報道中心の一般商業紙に変わっていく過渡期をあらわしていた。

 たとえば,カナダにおける日系紙の最初は,1897年7月3日創刊の《晩香(バンクーバー)週報》である。発行者は牧師(Victoria Japanese Church)の鏑木五郎。これが1904年7月に《加奈太(カナダ)新報》となり,さらに《加奈陀日日新聞》(陀を太と表記したとの説もある。1923年9月9日以後《加奈陀新聞》と改題)となる。これは,1907年6月刊行の《大陸日報》と並んでカナダ日系社会を二分する一般新聞になっていく。

 ロサンゼルスの《羅府新報》が報道中心の一般紙に変わっていくのも,〈亜細亜商会〉の経営者井上昌らが同紙の経営にあたる1910年前後からである。サンフランシスコでは〈土着永住〉をスローガンとした安孫子久太郎(1865-1936)が1899年4月3日に〈沿岸邦人の精神的統一を計る〉などをうたって創刊した日刊紙《日米The Japanese American News》(のちJapanese American。在来の《桑港日本新聞》と《北米日報》を合併)が,代表的な新聞となる。万年社所蔵の資料によれば,1920年代前半における推定部数は《日米》が6000,《羅府新報》が3500,シアトルでは《北米時事》が5000となっている。20年におけるカリフォルニア州全体の日系人口は7万1952人で,うちロサンゼルス1万1619人,サンフランシスコ5385人であり,邦字紙は日系社会に不可欠のものとなっていたといえる。

 第2次大戦中,西海岸を主力としていたほとんどの邦字紙は廃刊,休刊を余儀なくされた(コロラド州の《格州時事》《ロッキー日本》などは存続)。しかし,日系アメリカ人たちは,収容所内で《Heart Mountain Sentinel》などいくつかの収容所内新聞をつくり,ジャーナリズム活動を続けている。

戦後,サンフランシスコでは1946年5月,《日米》の系譜をひく《日米時事》が再生し,戦前の《新世界朝日》(1894年創刊の《新世界》の後身)の系譜をひく《北米毎日Hokubei Mainichi》が48年2月創刊され,ロサンゼルスでは《羅府新報》が再刊され,戦中でも新聞発行が続けられたハワイでは《ハワイ・タイムスHawaii Times》(1895年創刊の《やまと新聞》が前身,1942年《日布時事》を改題),1912年創刊の《ハワイ報知Hawaii Hochi》などが活動を続け,邦字紙の世界は急速に再建,拡大されていく(《ハワイ・タイムス》はその後休刊)。中南米でも,アルゼンチンの《亜国日報Akoku Nippo》(1947創刊),《らぷらた報知》(1948創刊),ブラジルの《サン・パウロ新聞》(1945創刊)などいくつかの邦字紙が出されている。

 しかし,1世人口が減少し,3世の時代に入りつつある現在,各紙とも,すでに戦前から英語,スペイン語欄を常設するなど変化に対応している事例は多いものの,日本語新聞のもつ意味はうすれ,読者の漸減はもとより,日本語を書ける若い記者の圧倒的不足など,多くの困難に直面している。全アメリカ的な2世団体である日系アメリカ人市民協会(1930創立。略称JACL)の機関紙,週刊《Pacific Citizen》が創刊当初から英文で編集・発行されているのは,この点でたいへん象徴的である。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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