崇円寺(読み)そうえんじ

日本歴史地名大系 「崇円寺」の解説

崇円寺
そうえんじ

[現在地名]河浦町河浦

一町田いつちようだ川に臨み、かつての河内浦かわちうら城跡という。天草山と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。正保二年(一六四五)初代代官鈴木重成の創建で、天草四ヵ本寺の一つ。開基は筑後善導ぜんどう(現福岡県久留米市)から招かれた伝誉。「島鏡」によれば、慶安元年(一六四八)平床ひらとこ村のうちに寺領三〇石を与えられ、しも島中南部の教化に中心的役割を果した。天草寺社領御証文之写(島鏡)に「境内山林壱町田下田両村之内、古城長百五拾間支配、但西は下田村之内風呂の谷限、東は壱町田村之内ゲヅ原田の岸切、北は堂の尾谷切、南は川ばた道切之事」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む