崇徳書院跡
そうとくしよいんあと
[現在地名]能代市檜山字檜山町
旧上町の北端から多賀谷氏居館へ上った所にある藩政期の郷校。秋田藩は、寛政五年(一七九四)各郡に郷校の建設を定めた。崇徳書院が同六年に小横町にあった楞厳院内に設けられたが、同九年火災にあい、多賀谷氏居館内に移り、そのまま同所に再建された。敷地は一千四五六坪、校舎建坪一四九坪五合、学校経費一〇〇石、職員は学頭一名、教授二名、教授見習二名、目付役二名、受払役二名、詰役一二名で、生徒数は三〇―四〇名であった(崇徳小学校沿革誌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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