秋田県の西北部に位置し、周囲に山本郡の諸町村、北に峰浜村・藤里町、東に二ッ井町、南に山本町・
市の北部は
市の南部は、米代川と出羽丘陵から延びた
能代の古名船師一百八十艘
、伐
蝦夷
、齶田・渟代、二郡蝦夷、望怖乞
降」などとある。次いで野代と記した初見は「続日本紀」宝亀二年(七七一)六月二七日条で、「渤海国使青綬大夫壱万福等三百廿五人、駕
船十七隻
、着
出羽国賊地野代湊
、於
常陸国
安置供給」とある。
さらに野代が能代に改められたのは元禄七年(一六九四)と宝永元年(一七〇四)の地震に機縁があり、「代邑聞見録」に、「元禄七年甲戌、宝永元年甲申両度大地震に、野代は野に代ると読字なる故度々大変ありと、諸人御改めを願ふ。然れとも、久敷湊にて諸国へ達しぬれは容易に御改難被成、稍御評議の上、野の字計り御改め宝永元年より能代と諸国へ通達す」とある。古代における渟代・野代はその地域を特定することは難しい。
縄文時代の遺跡は米代川北岸の東雲台地の縁辺部に多く、台地北縁の竹生・鳥形・栗山の近くに前期から晩期の土器片が散在している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報