精選版 日本国語大辞典 「上町」の意味・読み・例文・類語
うえ‐まちうへ‥【上町】
- 大阪市の中心部、東横堀川東方の上町台地の俗称。江戸時代、妾宅が多かった。上本町。
かみ‐の‐ちょう‥チャウ【上町】
- 京都、旧島原遊郭内の町名の一つ。三筋町の一つ。遊郭の東南の隅、中の町の南側。
鹿児島城の北東、海(鹿児島湾)沿いに広がり、北は武家屋敷の
水戸城北の
武家屋敷(侍小路)は
中村町の主要街衢、すなわち元禄(一六八八―一七〇四)頃の
中村三万石御代之図には前記の町名がみえるが、各々の町域は確定しがたい。現在の町名に当てはめて町屋の軒数を示すと、京町一―五丁目東側六二軒、同一―五丁目西側三七軒、京町二―三丁目境の東横町南側七軒、本町二―三丁目境の西横町南側五軒、本町三―五丁目東側三二軒、同三―五丁目西側二七軒、新町一―三丁目西側二六軒、同一―三丁目東側三六軒で計二三二軒。
慶長一六年(一六一一)相馬氏が中村に城下を置いたとき、市廛として開いた四坊の一つで、南は
加古川の支流
行田町の北西部分を東西に走る両側町。時代により
享保期(一七一六―三六)の町絵図によると、高札場前の西側は加藤十左衛門、東側は梅沢庄右衛門、その隣が古橋吉右衛門、高札の裏にあたる北側が吉羽惣太郎と町年寄の住居がここに集まっていた。
中町の北、
町人町の中核をなす本町三町のうち、大手門を南下したところにあり、西に中町・下町と続く。三町の町裏に沿って新発田川が西流し、築城当初はここまでが城下であった。下町の地割普請が慶長一四年(一六〇九)に行われており(蕉鹿年代記)、当町と中町にはそれ以前に町場が成立していたと考えられる。同一五年頃の給知方ほど役帳(新発田市史資料)には「
島原城の南方、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…また城の東方に広がる低地を埋め立てて新たに武家屋敷にするとともに,ここに町人を大規模に移して町人町を造成(田町越え),城下商工業の中心とした。 城を挟み西方の台地上の町を上町(うわまち)というのに対し,東方の低地を下町(したまち)と呼ぶ。1651年(慶安4)には上町と下町を結ぶ全長18町の新道が完成した。…
…西部を国道152号線が通る。かつて南信濃村とともに遠山郷とよばれた秘境で,中心の上町は秋葉道の難所といわれた小川路峠の峠口の宿場であった。村域の大部分は山林・原野で占められ,養蚕を中心に茶,シイタケなどの栽培や畜産が行われる。…
※「上町」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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