檜山町(読み)ひやままち

日本歴史地名大系 「檜山町」の解説

檜山町
ひやままち

[現在地名]能代市檜山

檜山城城下町。羽州街道の駅場でもあり、現在も藩政期の松並木が残り、町の入口に一里塚がある。

町の東南一キロほどに檜山城跡(檜山安東氏城館跡)がある。一五世紀半ばの築城と思われるが、現在の町場は近世になってからである。ただし安東(秋田)氏が拠を構えてからまもなく、浄明じようみよう寺・楞厳りようごん院が建立され、町場形成の始まりともいえる。慶長七年(一六〇二)秋田氏が常陸宍戸ししど転封となり、代わって佐竹氏家臣小場氏が入ったが、同氏が同一五年大館おおだてに移り、代わって多賀谷氏仙北白岩せんぼくしらいわ(現角館かくのだて町)から入った。元和六年(一六二〇)四月二日、檜山城は破却されたが、多賀谷氏は茶臼ちやうす(現霧山下)に新たな居館を築き、周辺に家臣団住居を定めた。

享保一三年(一七二八)の檜山一円御絵図(秋田県庁蔵)によれば、小高い台地上の多賀谷氏の居館を中心として、東西南の三方に家臣の住居を置き、北は居館から檜山への入口、遠くは米代川を見通すように空間をとり、東は母体もたい村へ通ずる道路の両脇に、佐竹氏直臣松野氏とその組下・足軽の屋敷が中母体なかもたいまで続く。

享保の絵図と、天保二年(一八三一)の檜山絵図(秋田県庁蔵)によると、町の入口に檜山川に架かる大橋がある。大橋を渡ると丁字路にあたる。右折すると茶臼館ちやうすだて下の古四王こしおう神社・十王じゆうおう堂へ通じ、東へ折れると馬苦労ばくろう町へ入る。馬苦労町の両側町屋が並び、東端の町屋の後ろには、獄舎がある。大町の両側も町屋が並び、馬苦労町から大町へ入ってまもなく東へ折れると赤館あかだて町へ入る小路があり、そこを過ぎて西へ折れると多賀谷氏居館の西側を回る亀井戸かめいど町に入る小路があり、小路の角には札場がある。大町は侍屋敷の連なるかみ町へ続く。上町は一三六間。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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