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崔子忠 さいしちゅうCui Zi-zhong

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

崔子忠
さいしちゅう
Cui Zi-zhong

[生]?
[没]崇禎17(1644)
中国,明末の画家。莱陽 (山東省) の人で北京に寓居。初名は丹,字は開予,のち名を子忠,字を道母と改めた。号は北海,青蚓。崇禎期 (1628~44) の北京の諸生。明滅亡後は土室に入って出ず餓死した。晋,唐の人物画を模して新様式をつくったと評されたが,実際は元末,明初の民間画工の作品に学んだと推測され,独自の人物画様式をつくり上げて,同時代の陳洪綬とともに「南陳北崔」と並称された。代表作は『杏園送客図』 (景元斎コレクション) など。

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百科事典マイペディアの解説

崔子忠【さいしちゅう】

陳洪綬(ちんこうじゅ)

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世界大百科事典 第2版の解説

さいしちゅう【崔子忠 Cuī Zǐ zhōng】

?‐1644
中国,明末の遺民画家。字は道毋(どうかん),号に北海,青蚓がある。山東省萊陽の出身で,後に順天(北京)に移った。1633年(崇禎6),董其昌に師事したことがある。明が滅びてからは清に仕えるのを拒否して,土室中にこもって餓死した。人物画を得意とし,陳洪綬と並んで〈南陳北崔〉と称せられた。六朝・唐の当時の伝世品に依拠した奇古の画風で名高く,独特の陰湿な画面は他に類例がない。妻子も絵をよくしたが,陳洪綬の人気にはとうてい及ばず,追倣者もごく少ない。

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