嶺方村
みねかたむら
[現在地名]白馬村大字北城 嶺方
姫川右岸の丘陵性山地高戸山などの山に囲まれた山間の村で峰方村・峰方新田村ともとなえる。
天正一〇年(一五八二)七月六日付で上杉景勝が西方房家に与えた宛行状(歴代古案)に「飯田・嶺岸・千国六百貫文之所」とあるうちの嶺岸は嶺方の誤りで、これを村名の初見とする。
慶安二年(一六四九)の松本藩の検地帳(矢口大和氏蔵)によると、従来所属していた飯田村から高分れして村高一四〇石三斗九升四合の嶺方村となったことが明らかである(「信府統記」所載の慶安四年高分れとする従来の説は誤り)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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