日本歴史地名大系 「川入五ヶ村新田」の解説 川入五ヶ村新田かわいりごかそんしんでん 神奈川県:愛甲郡愛川町川入五ヶ村新田宝暦六年(一七五六)三月、川入新田の年番名主金右衛門が代官志村多宮に差出した愛甲郡下川入五ヶ村明細帳(県立文化資料館蔵)によると、川入五ヶ村とは、棚沢(たなざわ)(現厚木市)・新戸(しんど)(現相模原市)・半縄(はんなわ)・八菅(はすげ)・熊坂(くまさか)の五村のことである。右明細帳によると、当新田は右五ヵ村共有の新田であり、おそらく六ッ倉(むつくら)を中心とする相模川河川敷であろう。寛保元年(一七四一)までは五村共有の秣場であったが、新田開発を願う者があり、勘定役堀江荒四郎から願人渡か村請か聞かれ、やむをえず、同年六月より原地代金として金五両三分と永一五五文(うち三両三分と永六八文三分は流作場代、二両と永九七文一分は原地代)を納めることになった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by