20世紀日本人名事典 「川内唯彦」の解説 川内 唯彦カワウチ タダヒコ 大正・昭和期の社会運動家,社会主義文献翻訳家 生年明治32(1899)年9月1日 没年昭和63(1988)年4月13日 出生地福岡県京都郡祓郷村徳永(現・豊津町) 学歴〔年〕東京外国語学校露語部貿易科中退 経歴東京外国語学校在学中に社会主義を知り、ML会に入って運動に参加する。大正11年共産党に入り、モスクワのコミンテルン大会に参加する。昭和2年レーニンの「人民の友とはなにか」を翻訳刊行し、以後マルクス主義のロシア文献を多く紹介する。3年創立の国際文化研究所、4年創立のプロレタリア科学研究所にそれぞれ参加し、6年頃共産党に再入党するが、9年検挙された。戦後はロシア・マルクス主義文献の翻訳に尽力した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川内唯彦」の解説 川内唯彦 かわうち-ただひこ 1899-1988 大正-昭和時代の社会運動家。明治32年9月1日生まれ。大正11年共産党にくわわり,モスクワのコミンテルン第4回大会に出席。プロレタリア科学研究所,唯物論研究会などで活動し,マルクス主義文献の翻訳・紹介につとめた。昭和63年4月13日死去。88歳。福岡県出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。訳書にレーニン「国家と革命」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by