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社会主義 しゃかいしゅぎ socialism

翻訳|socialism

6件 の用語解説(社会主義の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

社会主義
しゃかいしゅぎ
socialism

資本主義の矛盾を批判し,これを克服して,新たな社会を建設しようとする思想と運動の総称。この思想は,資本主義とほぼ同時に生れたといえる。すなわち,資本の原始的蓄積過程におけるさまざまな矛盾の発現に対して,平等社会を夢み,資本主義を批判した T.モア,T.カンパネラなどがそれである。

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デジタル大辞泉の解説

しゃかい‐しゅぎ〔シヤクワイ‐〕【社会主義】

socialism
生産手段の社会的共有・管理によって平等な社会を実現しようとする思想・運動。空想的社会主義共産主義社会民主主義など。
マルクス主義で、資本主義から共産主義へと続く第一段階としての社会体制。各人は能力に応じて働き、働きに応じて分配を受けるとされる。1917年ロシア革命により、1922年に世界初の社会主義国家としてソビエト社会主義共和国連邦が成立したが、硬直化した官僚体制への不満などから1991年に崩壊した。

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百科事典マイペディアの解説

社会主義【しゃかいしゅぎ】

英語でsocialism,ドイツ語でSozialismusなど。社会的不平等の根源を私有財産制に求め,それを廃止ないし制限し,生産手段社会的所有に立脚する社会を作ろうとする思想または運動,およびこの理想が実現された状態。
→関連項目赤旗事件アフリカ的社会主義共産党近代思想国民精神作興詔書左翼32年テーゼ資本主義社会主義市場経済新左翼添田唖蝉坊大逆事件ドイモイ27年テーゼ日本フェビアン協会ブルジョア民主主義プロレタリア演劇平民新聞マルクス経済学黎明会連帯主義

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世界大百科事典 第2版の解説

しゃかいしゅぎ【社会主義 socialism】

生産手段の私有と私的管理,労働力を含む商品の自由競争という資本主義社会の原則を批判して,生産手段の共有と共同管理,計画的な生産と平等な分配を要求する思想と運動,また,その結果具現された社会体制を広く社会主義と呼ぶ。社会主義という用語は,このように思想,運動,体制の次元にわたり,時には資本主義の個人主義的な利潤追求欲に対立するものとして集団主義的な友愛の連帯という倫理の次元までも含んで用いられるために,内容的には多義にわたらざるをえない。

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大辞林 第三版の解説

しゃかいしゅぎ【社会主義】

資本主義の生み出す経済的・社会的諸矛盾を、私有財産制の廃止、生産手段および財産の共有・共同管理、計画的な生産と平等な分配によって解消し、平等で調和のとれた社会を実現しようとする思想および運動。共産主義・無政府主義・社会民主主義などを含む広い概念。
マルクス主義において、生産手段の社会的所有が実現され、人々は労働に応じて分配を受けるとされる共産主義の第一段階。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

社会主義
しゃかいしゅぎ
socialism英語
socialismeフランス語
Sozialismusドイツ語
социализм sotsializm ロシア語

社会主義ということばはまず最初に1827年にイギリスオーエン派の出版物にsocialismとして登場し、これとは独立して32年にフランスフーリエ派の出版物にsocialismeとして登場した。ヨーロッパ諸国の社会思想に大きな影響を与えたのは、フランスのsocialismeなので、フランス語がヨーロッパ語系諸国の社会主義を示すことばの共通語源とされている。社会主義は、社会の富の生産に必要な財産の社会による所有と、労働に基礎を置く公正な社会を実現するという思想として生まれた。思想と運動の歴史での社会主義と共産主義の区別は厳格ではないが、一般に共産主義は、社会主義がさらに発展した平等な社会として理解されてきた。1991年のソ連崩壊、東欧の雪崩(なだれ)的な体制変革によって、思想、運動の両面にわたって揺らいでいる。[稲子恒夫]

ユートピア社会主義

社会主義思想は、資本主義的な諸関係が急激に形成された19世紀前半にヨーロッパで生まれた。イギリスのオーエン、フランスのサン・シモンとフーリエたちは、失業と貧困のない社会は、生産手段が公共の所有であり、全員が労働に従事する協同社会の組織と普及により実現できると主張して大きな波紋をおこしたが、彼らの説く協同社会は、現実の資本主義社会の外に有志がつくるものであり、実生活から離れたユートピアであった。これをユートピア社会主義とよぶ。[稲子恒夫]

科学的社会主義(マルクス主義)

19世紀のなかばから、社会主義は労働者階級の解放運動と結び付いた。さまざまな社会主義思想が現れたが、そのなかで影響力がもっとも大きかったのはマルクスとエンゲルスのマルクス主義である。彼らは社会主義を社会の発展法則、とくに資本主義の発展の必然的な結果である新社会として位置づけた。すなわち、資本主義において社会の生産力は急激に成長し、大規模生産は社会的な性格をもつが、このことは生産手段の私有、資本家による労働者の搾取という生産関係との矛盾を深め、貧困、失業、周期的恐慌をもたらす。この矛盾は、生産手段の私有の廃止とその社会化、国民経済の計画的・組織的管理によってだけ解決される。マルクスとエンゲルスは社会主義への変革は労働者階級により達成されるとして、社会主義の思想を労働者階級の大衆的な運動と結び付け、労働者階級の政治的な組織と運動の必要を説いた。
 2人によると、資本主義から社会主義への移行は革命を必要とし、勝利した労働者階級は、社会主義を組織し、生産力を急速に発展させるため自分の国家を必要とする。彼らは、階級闘争は革命後も続き、旧支配階級の抵抗をなくすため、移行期にはプロレタリアート(労働者階級)の独裁が必要であると説いた。他方において彼らは、人民主権、普通選挙、議会への権力の集中(権力分立の否定)、地方自治、統治への大衆の参加、官僚主義の廃止、政治的自由などの民主主義の理念と制度は、社会主義で完全に実現されると考えた。
 マルクスとエンゲルスによると、社会主義では生産手段は社会の所有に移され、もはや搾取はないが、社会の構成員への生産物の分配は、「各人はその能力に応じて働き、各人はその働きに応じて受け取る」という原則に従い行われ、そのため社会的な不平等はまだ残る。社会の生産力がさらに発展し、人々の道徳水準が向上したとき、「各人はその能力に応じて働き、各人はその必要に応じて受け取る」という共産主義の原則が実現され、そのときは権力の組織である国家がなくなるだろう。マルクス主義の社会主義は、歴史の、また資本主義の社会と経済の科学的分析に基づくものであったので、科学的社会主義とよばれた。[稲子恒夫]

運動としての社会主義

1864年に創立の第一インターナショナル(国際労働者協会)は各国の各種の社会主義者の集合体であったが、マルクスとエンゲルスが指導的な役割を果たしたので、マルクス主義の国際化に寄与した。第一インターナショナルは1871年のフランスでのパリ・コミューンの鎮圧以後、各国政府の弾圧のため活動できなくなり、1876年に解散した。
 1889年に設立の第二インターナショナルは、国際労働者政党連合という正式の名称が示すように、各国の社会主義政党の連合体であった。第二インターナショナルの中心になったのは、1875年に既存の二つの政治組織の統合で生まれたマルクス主義政党であるドイツ社会民主党である。80年代から90年代にかけて他のヨーロッパ諸国でも次々と労働党、社会党、社会民主党などが結成された。これらは労働者階級に基盤を置く大衆政党であり、一般的な傾向としてマルクス主義を指導理念としていた。このような社会主義政党の発展をもたらしたのは、労働運動の発展と普通選挙の実施であり、社会主義政党が選挙運動の形で合法活動ができるようになり、国会に議席をもったことである。
 これらの社会主義政党は各国の政治過程に影響を与え、労働者階級の社会的地位の向上で成果をあげたが、1871年のパリ・コミューンを最後として、ロシアなど一部を除くヨーロッパ諸国では革命的な状況がなかった。このようななかで社会主義政党のなかに右派の潮流が生まれた。ドイツ社会民主党の指導者の一人であるベルンシュタインは19世紀末の著作でマルクス主義の根本的修正を呼びかけ、社会主義政党は革命ではなく、社会的改良の積み重ねによる社会の改造を任務とすると主張して大きな反響をよんだ。第二インターナショナルはこの主張を修正主義とよび、それとの闘争を決めた。
 第二インターナショナルは労働者階級の国際連帯を基本原則としたが、1914年に第一次世界大戦が起こると、社会主義政党の多数派が自国の戦争政策の支持を決めたため、各党が分裂し、第二インターナショナルも崩壊した。[稲子恒夫]

ロシア革命以後の社会主義運動

1917年のロシアにおける社会主義革命の勝利により、社会主義は、思想と運動から一つの国での実現の過程に入り、運動としての社会主義運動も新しい段階に入った。ロシアの革命と社会主義建設を指導したのはレーニンを指導者とする左派のロシア社会民主労働党であり、同党は1919年に右派(修正主義)の社会主義政党との違いを明確にするためロシア共産党(のちソ連共産党)と改称した。同年に各国の左派の社会民主党、共産党により第三インターナショナル(共産主義インターナショナル、略称コミンテルン)が結成され、コミンテルン加入の党の名称は原則として共産党になった。第二インターナショナルは1919年に活動を再開したが、これに批判的な各国の中央派の社会民主党は別個に第二半インターナショナル(社会主義国際労働者政党連合)を結成し、両者は23年に合併して社会主義労働者インターナショナルになった。
 コミンテルンと各国共産党はロシアの革命とソビエト政権を支持し、当初はロシア型の革命をヨーロッパ諸国の革命のモデルとした。これに対し第二インターナショナル系の社会民主党、社会党では右派が指導権をとり、彼らはロシアの革命とソビエト政権を批判し、革命によらない改革の路線をとったが、その際のモデルはドイツ社会民主党が政権に参加したワイマール時代のドイツ(1919~32)である。コミンテルンは植民地、従属国の解放運動に力を入れ、アジア、アフリカ、ラテンアメリカにも共産党がつくられたが、社会主義労働者インターナショナルはヨーロッパ中心の組織であった。
 コミンテルンは1920年代に、すべての労働者政党が参加する統一戦線政府を社会主義への過渡的段階とする路線をとったが、成功しなかった。33年にドイツでナチスが政権をとり、共産党、社会民主党だけでなく、ナチス党以外のすべての党が弾圧され、ファシズムが樹立されたことは、社会主義運動に大きな衝撃を与えた。35年にコミンテルンは、社会主義を直接に志向しない反ファシズム統一戦線の路線を決定し、各国社会党の間にも共産党との協力の気運が盛り上がり、36年にフランスとスペインで社会党、共産党などが参加の人民戦線政府がつくられたが、フランスの人民戦線政府は38年に解体し、スペインの人民戦線政府は内戦により39年に崩壊した。[稲子恒夫]

第二次大戦後の社会主義運動

第二次世界大戦の末期から直後にかけて、東欧諸国では戦時に結成の反ナチスの統一戦線を基盤に共産党主導の統一戦線政権がつくられ、これらはやがて社会主義政権の性格を明確にした。アジアでもベトナム、朝鮮(北半分)、中国に共産党が中心の新国家が樹立され、これらも社会主義国家の性格をもつようになった。西欧諸国では、反ナチスのレジスタンス(抵抗運動)を基盤に戦争直後に共産党、社会党が参加する連立政権がつくられた。このような状況は社会主義運動に有利な条件をつくった。
 コミンテルンは1943年に解散したが、冷戦の開始と東西ヨーロッパの間の緊張の激化のなかで、47年にソ連と東西ヨーロッパ主要諸国の共産党(労働者党)の連絡調整機関として共産党・労働者党情報ビューロー(コミンフォルム)がつくられた。しかしコミンフォルムは各国の状況の違いを無視した指導をしたので、具体的な成果をあげることなく56年に解散した。これ以後各国共産党は不定期の国際会議、個別的な交流により政策と行動の調整にあたったが、アジア地域の共産党間の交流はほとんどない。このような状況のなかで、資本主義が高度に発達した諸国の共産党は、社会主義への独自の道を追求し、その共通点は、日常的な政治活動による党の大衆的基盤の拡大と議席の増加による政治的影響の増大、他党との連合による多数派の獲得、政治的・社会的な改革の積み重ねによる社会主義への平和的移行である。各国共産党の活動には社会主義諸国の状況が影響を与えるが、各党は現存の社会主義とは違うモデルの追求をしており、とくに社会主義における野党の存在と政治的自由を積極的に認める複数主義(多元主義)を構想している。
 社会党系の国際組織は1951年に社会主義インターナショナルとして再発足したが、これに加入の社会党、社会民主党の大半はマルクス主義から離れ、とくに旧西ドイツの社会民主党は59年にマルクス主義を指導理念とすることをやめた。第二次大戦後の西欧諸国の社会党、社会民主党の大半は、基幹産業の国有を支持するが、私企業の全般的社会化という社会主義の実現を目標に掲げてなく、資本主義という西側体制の枠内での経営管理への労働者の参加、労働条件などの改善に努力するという体制内の左派政党になった。西欧諸国では社会党、社会民主党の単独政権、またはその参加する連立政府がつくられたが、これにより各国の政治と経済の状況は大きく変わらなかった。[稲子恒夫]

開発途上国と社会主義

第二次世界大戦後、社会主義の思想は、かつての植民地、従属国である開発途上国に拡大した。いくつかの地域で西側諸国からの経済的独立と自国の社会的、経済的な後進性の克服を、外国の資本と商人が支配する私的経済の排除、国有経済の発展を中心とする社会主義的方法で実現するという思想が生まれた。マルクス主義を地域の条件にあわせて手直ししたアフリカ社会主義、伝統的な宗教を基盤とするイスラム社会主義などを指導理念とする開発途上国は、社会主義志向国とよばれる。[稲子恒夫]

現存社会主義

第二次大戦まで社会主義国は旧ソ連と、ソ連とだけしか外交関係がなく人口の少ない内陸国モンゴルだけであったが、第二次大戦後に社会主義国の数は大幅に増えた。1980年代のなかば、社会主義国は次の16か国であった。ソ連、東欧諸国(アルバニア、ブルガリア、チェコスロバキア、東ドイツ、ハンガリー、ポーランド、ルーマニア、ユーゴスラビア)、極東諸国(中国、北朝鮮、モンゴル)、インドシナ三国(カンボジア、ラオス、ベトナム)、キューバ。当時の世界全体で社会主義国が占める比率は、陸地面積の約26%、人口の約32%、工業生産高の約40%であった。
 世界社会主義体制ということばが1950年代の後半に生まれたが、これは実際と理念の中間を意味している。社会主義諸国は軍事同盟組織であるワルシャワ条約機構と、経済協力機構である経済相互援助会議(いわゆるコメコン、ロシア語の略称はセフ)という国際組織をもっていたが、前者はソ連と東欧6か国(アルバニアとユーゴスラビアを除く)だけの組織であった。コメコンには大半の社会主義国が加入もしくは準加入し、またはこれにオブザーバーを派遣している。コメコンは社会主義諸国の経済発展に貢献したが、社会主義経済統合、社会主義国際分業という課題は十分な成果をあげず、1989年の東欧の民主化、91年のソ連崩壊後で消滅した。社会主義諸国のなかでアルバニアは鎖国主義をとってきた。中国は1960年代、70年代にソ連と対立したが、70年代以後は社会主義諸国よりも日米との協力を重くみており、ベトナム戦争後はベトナムとの関係を悪化させた。カンボジアの問題について、ベトナム、ソ連と中国は対立した。
 このように社会主義諸国の相互の関係がかならずしも円滑でないことの基本的な原因は、各国の歴史的、社会的な条件の違いが大きいことである。社会主義諸国は、革命後すでに60年以上たったソ連、1940年代後半に社会主義の建設を開始した諸国、50年代末、70年代なかばに社会主義国になった諸国に分かれ、社会主義体制がすでに確立されている国がある一方、社会主義がまだ建設の途上にある国、社会主義建設が始まったばかりの国があるし、経済の発展程度からみると先進国、中進国、発展途上国の三つに分かれていたからである。
 社会主義諸国の大半は、西側の資本主義諸国よりも経済的、社会的にも遅れていたので、これらの国は後進性の克服のために工業の急速な発展に力を入れる社会主義工業化の路線を実行してきた。いくつかの国では工業化の資金を農業に求めるいわゆる社会主義的本源蓄積の政策がとられたため農業生産の発展に支障をきたしたし、また路線と政策の強行のため、プロレタリアート独裁の拡大解釈と個人崇拝が生まれ、伝統的な政治文化と権威主義が用いられ、民族主義も利用された。ソ連のスターリン問題、中国の毛沢東(もうたくとう)問題がその代表的な例である。
 1960年代末にソ連と東欧諸国に「発達した社会主義」「成熟した社会主義」ということばが現れた。これは、社会主義が体制として安定しており、経済的にも発展水準が高い社会主義を意味し、この基準からみた発達した社会主義の国はソ連だけであり、東欧諸国は発達した社会主義への過渡期にあるとされた。しかし1980年代に入るとソ連では、ソ連は発達した社会主義の段階に入っているが、しかしその社会主義はまだ完全なものでなく、その全般的な改善が必要であるという認識が生まれた。[稲子恒夫]

社会主義の経済

社会主義経済は基本的な生産手段、経済の基本的部門の国有を特徴としている。農業は生産農業協同組合が一般的だが、ソ連の場合、国有農場の比重が増え、生産農協であるコルホーズの役割は小さくなっていた。ソ連では個人経営は、他人を雇わないという条件で特定の手工業についてだけ認められていたが、大半の社会主義国は商業、サービス業、手工業で家族を中心とする個人経営を認めていた。農村部では勤労者が家族単位の零細な副業経営をもち、野菜などの生産で大きな役割を占めていた。個人の生活を支えているのは労働により得た所得であり、日常生活に必要なものは個人の所有だが、都市部の住宅は原則として国有市営または協同組合所有の集合住宅であった。
 社会主義経済の中心は国有経済だが、たいがいの社会主義国では国有の企業またはその統合体は政府機関が直接に管理する国営ではなく、独立の経営単位である。国有経済の管理については複数の方式(モデル)があるが、そのなかで1930年代にソ連でつくられた制度が長い間共通のモデルになっていた。このモデルによると、国有の企業は政府機関の指導のもとに、政府の計画担当機関が示す各種指標に基づいて経営を行い、企業があげた利潤の大半は国に収められて、財政投資に使われる。政府機関が企業活動の基本的なことについて決定権をもつこの中央集権的な方式は、工業化と国民経済の外延的発展に大きく寄与してきた。このことは、社会主義諸国と発達した資本主義諸国の工業総生産高の1950年から74年までの年平均成長率が、前者が10.1%であり、後者が5.2%であったことから知ることができる。しかし製品(とくに消費物資)の質と多様化、技術革新の導入による新製品の開発では、社会主義諸国は西側諸国より遅れていたし、一部の社会主義国では60年代以後成長率が下がっており、とくにポーランドでは80年に経済的困難から政治的危機が生まれて、他の社会主義国に大きな衝撃を与えた。
 このことは、従来の国有経済の管理方式が、生産の質の向上と多様化、科学技術の成果の導入による生産の集約化、国民経済の内包的発展が課題となっている状況にあわなくなっていることによる。1960年代のなかばからソ連と東欧諸国では、企業の自主性を拡大し、政府による計画化と市場原理を最適な形で結合する方向での経済改革が行われてきたが、多くの場合改革が中途半端であったため成果をあげなかった。そのため80年代に入ると経済管理の根本的な改革が日程にあがった。旧ユーゴスラビアは上記の方式を官僚主義、国家介入主義(エタティズム)とよび、企業またはその内部の経済組織に完全な自主性を与え、企業活動に市場原理を全面的に導入した。この市場社会主義は経済活動を活発にした反面、恒常的な物価上昇、慢性的失業などを生み出した。
 旧ユーゴスラビアは国有の概念を否定し、企業をその従業員の自主管理にゆだねるという自主管理社会主義を指導原則としてきた。他の大半の国では、企業のとくに重要な事項の決定権を政府機関またはその任命する企業幹部に残しながらも、従業員集団の経営管理への参加の範囲を拡大し、そのなかで社会主義的自主管理という概念が生まれた。このように生産単位の自主管理を重視する状況下に、多数の社会主義国で、企業単位またはその内部の組織単位の勤労者の集団を、社会主義社会の基本的な単位、細胞とする考えが生まれた。
 かつて社会主義の思想と運動では、社会主義になれば生産力と生産関係との矛盾がなくなり、経済はすべて順調に発展するという考えが支配的であったが、社会主義にも生産力と生産関係の矛盾があり、経済の発展のためには生産関係の諸制度の適時で適切な改革が必要であることを示した。そして1980年代後半に至り、東欧の民主化と、その後の91年のソ連崩壊により、多くの国で社会主義の放棄が行われた。[稲子恒夫]

社会主義の政治

社会主義諸国で政治の中心にあるのはマルクス主義を指導理念とする各国共産党である(党名は国により違いがある)。いくつかの国では他の政党も与党として活動しているが、実際の役割は小さい。国により違いがあるが一般的な傾向をみると、共産党の中央機関は、党の下部機関、政府機関、研究機関などの協力のもとに、国の長期的な政策を長期計画の形で決め、当面の重要問題の政策も決定する。党の決定は国家機関と社会団体により具体化され、実施されるが、その際党の下部機関と党員は決定の実施について積極的役割を果たす。以上の過程には党の内外の種々さまざまな要因が作用し、それぞれ独自の利益をもつ社会階層と社会集団がこの過程に影響を与えている。社会主義諸国の経験は党の指導部による独断、客観的条件の過小評価、党員と一般国民の政治的・社会的意識の軽視、社会科学の成果の無視、党内民主主義と社会主義民主主義の侵害は、一時的には成功するが、長期的には混乱と後退をもたらすことを示した。マルクス主義は近代的合理主義の所産だが、実際にはいくつかの国で党の最高指導者を神格化し、その言動を政治の絶対的指針とするという権威主義的な個人崇拝が生まれたが、個人崇拝は指導者の死亡とともに崩れている。
 共産党は党員だけの組織であり、国家は全人民の包括的組織だが、実際には党機関の機能と国家機関の機能の混同、党機関による国家機関の代行という現象がしばしばおきている。一部の社会主義国はこの現象を正当化しているが、全体としてはこのような事態を否定的に考え、党機関の機能と国家機関の機能の明確な区分の確立に努めている。
 社会主義国家の中心的な権力機関は、公選による中央と地方の議会である。議員の選挙の重点は候補者選出の過程に置かれている。一般的には各選挙区で定数と同数の候補者だけをたて、投票でその信任を問う方式が採用されているが、定数以上の候補者をたてて最終的選択権を選挙人に与える方式をとる国が多かった。議員の大半は本来の職業をもつ勤労者なので、議員活動に専念できない。そのため議会により選ばれる政府その他の執行機関、その指揮を受ける行政機構が実際の統治で果たす役割は大きく、その官僚主義と非能率が絶えず問題になっている。そこで議会と住民による監督が強化され、社会団体代表と住民の行政への参加が拡大しているが、根本的には行政の機能の下部機関または社会団体への大幅な譲渡、住民に直結する地方の権限の拡大、中央の機構の整理統合による行政の効率化が課題になっている。
 大半の社会主義国では労働組合、青年団体などの果たす役割は大きい。これらの団体は政策の形成に参加し、代表が議員に選ばれ、各種の行政委員会と審議会にも代表が入っているが、社会団体は全国的な大組織なので、一般勤労者の声が日常の政治に直接に反映するわけではない。そこで多くの社会主義国で、工場などの企業の勤労者の集団を社会主義の政治制度の基礎に置く改革が進められてきた。たとえば旧ユーゴスラビアでは、議員は職場単位で選出の者と、地域で選出の者との2種類からなっていた。旧ソ連では、職場単位の集会が選挙の候補者を選び、その適格性を検討し、当面の政治問題を検討する場所となっていた。このような職場の重視は、ハンガリーでは工場民主主義とよばれていた。しかし、1989年に起こった東欧の民主化と、91年のソ連崩壊で大半の社会主義国で社会主義が放棄された。[稲子恒夫]

社会主義と自由

大半の社会主義国の憲法は個人(市民)の権利と自由について詳しく定め、その尊重を強調している。社会主義諸国の従来の多数意見によると、個人の権利の中心になるのは、労働の権利、労働にふさわしい給与を受ける権利、有給休暇を含む休息の権利、社会保障を受ける権利、無料で医療を受ける権利、住宅の権利、無償の教育を受ける権利などの社会的・文化的権利である。社会主義の成果はこれらの権利に現れており、言論・出版の自由などの政治的自由は上記の権利を保障する体制の強化に奉仕するものである。しかし社会主義における個人の政治的権利を第一義的に重視する者もおり、彼らは選挙権を含む国家と社会の業務に参加する個人の権利(旧ユーゴスラビアでは自主管理の権利)を人権体系の中心に置いている。第三の見解をとる者は、参加の権利とは別に言論・出版という表現の自由が独立の価値をもつことを強調し、その保護の強化を提案している。
 大半の社会主義諸国の実際では、政治についての個人の考えは、その属する集団や団体を通して組織的に全体に反映する方法がとられており、集団や組織を離れて個人の意見が自由に流通し、社会的な影響力をもつことは制度的に保障されていない。個人の意見の形成の材料になるのは情報だが、政治にかかわる重要情報は組織内で流通するが、公表されないことがある。1970年代からいくつかの社会主義国で以上の状況の見直しが始まり、情報公開、情報に対する権利、知る権利が憲法や共産党の決定に登場した。また世論という制度化されていない国民の意見を重視する傾向が強まっていった。1980年代には多くの社会主義国で、社会主義的民主主義の発展という政治の改革が課題になったが、80年代後半になると東欧で民主化の動きが強まり、多くの国で社会主義が放棄され、91年にはソ連の解体に至った。[稲子恒夫]
『G・リヒトハイム著、庄司興吉訳『社会主義小史』(1979・みすず書房) ▽藤井一行著『社会主義と自由』(1976・青木書店) ▽R・メドヴェーデフ著、石堂清倫訳『社会主義的民主主義』(1974・三一書房) ▽R・セルツキー著、宮鍋幟・久保庭真彰訳『社会主義の民主的再生』(1983・青木書店)』

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世界大百科事典内の社会主義の言及

【ラスキン】より

…《近代画家論》は60年第5巻で完結したが,それ以前は純粋な芸術美を論じてきた彼は,このころから機械文明とそれがつくり出す社会悪に反対する活動に献身するようになった。《この最後の者たちに》(1862)は,彼の思想の転機を画した論文で,自己利益でなく自己犠牲を基本とした経済学を説き,新しい社会主義ユートピアを描いたものであるが,当時は一般の嘲笑を買うだけであった。しかし彼はその後も社会主義の実践活動を続け,労働者のための大学創設にも尽力した。…

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